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20社不採用
肺がんの手術後にがんが転移し、治療を続けてきた千葉県の男性(54)は2009年9月、約30年間勤めた会社を早期退職した。幸い、約1年間は失業給付がもらえる。闘病と仕事に疲れた体を休ませようと、半年間はのんびり過ごそうと思った。月1度の抗がん剤治療も続いていた。「こんなに気持ちが悪くなって、仕事に就けるのか」という不安もあり、なかなか就職活動に踏み出せなかった。桜の花が散り始めた頃、ようやく仕事を探そうという気になった。しかし腫瘍マーカーの値が、少しずつ上がっていた。主治医と相談し、様々な抗がん剤を試した。副作用で腎機能が悪化し、体がだるくなった。それでも、7月に入ると体調が一段落した。自宅近くのハローワークに通い、条件に合う学校事務やマンション管理員の職に応募するようになった。だが書類選考だけで、落とされる日々が続いた。面接にこぎつけられた社も3社だけあった。しかし健康状態を尋ねられ、正直にがんであることを告げると、二度と連絡は来なかった。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 31, 2011 09:22

早期退職して社宅を出た
しかし退職金が上澄みされ、早期退職に応じれば約2800万円が手に入ることを知って心が揺れた。「体が資本。これ以上、仕事でストレスを抱えたくなかった」。会社は早期退職支援の斡旋会社も紹介してくれるという。支店長を歴任した自分のキャリアであれば、再就職先もすぐ決まると思った。「会社にしがみつくべきだ」と助言してくれた同僚もいたが、妻とも話し合い、退職を決めた。転勤続きで、ずっと社宅暮らしだった。退職すれば、社宅も出なければならない。こつこつと貯めてきた住宅財形と退職金の一部を取り崩し、1350万円で築10年の庭付き中古住宅を買った。結婚依頼、初めての一戸建てに、妻と息子は喜んだ。サラリーマン人生最後の日。職場で短く別れのあいさつをし、花束を受取った。合併後、つきあいの日が浅い同僚も多く、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。自宅に帰る途中、妻と息子から相次いで携帯にメールが入った。「長い間、お疲れ様でした」。帰宅後、近くの居酒屋に三人で行き、これからの門出を祝いビールで乾杯した。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 30, 2011 09:19

リストラ
肺がんの胸椎への転移が分かった千葉県の男性(54)は、抗がん剤と放射線治療を受けるため、1カ月ほど入院した。2008年10月には退院したが、暖かくなる翌年3月まで、自宅で療養した。職場に復帰すると、会社は他社と合併し、名前も変わっていた。職場の顔ぶれも一部変わっていた。それでも復帰当初は、あまり違和感を感じなかった。しかし企業風土の違いが、徐々に明らかになってきた。元の会社は風通しがいい、家族的な雰囲気だったが、合併した他社は「売ってなんぼ」の世界。同僚間の競争も激しかった。予想していたリストラの波も、思ったより早くきた。合併から4カ月語には、早期退職者の募集が始まった。男性は当初、会社に残るつもりでいた。治療費だけで年間100万円近くかかり、生命保険料の支払いも月8万円近くにのぼる。大学生の長男(21)を抱え、パートで働く妻(53)の手取り13万円の給料だけでは、とても暮らしていけない。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 29, 2011 09:30

転移し入院中 会社合併
手術から2年たった2008年春、肩甲骨付近に痛みを感じた。大学病院の主治医に告げると、整形外科を受診するよう言われた。X線検査では、異常は見つからなかった。しかし痛みは治まらない。毎月撮影を続けていると、数カ月後、X線にうっすらと影が写った。恐れていた、胸椎への転移だった。放射線と抗がん剤治療を受けるため、再び入院することになった。年下の部長に告げると「仕事のことは考えないでください」と快く送り出してくれた。今度の入院期間は、1カ月間近くにわたった。抗がん剤タキソテールの副作用で、二日酔いのようなムカムカが続き、味覚障害も起きた。そのころ、会社は同業他社との合併に向けた話し合いの真っ最中だった。「新しい会社の名前が決まったぞ」。入院中、同僚がメールで教えてくれた。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 28, 2011 09:38

異動と降格

異動を打診された部署は、自分のように支店長を経験した「古参兵」が集まる部署で、居心地も悪くなさそうだった。ただ、主査への降格が条件だった。900万円の年収が、50万円程度に下がるという。それでも、仕事のストレスでがんが再発するほうが怖かった。職場にもこれ以上、迷惑をかけられない。納得して異動を受け入れた。「給料をもらえるだけで、有難いと思った」。以前のように、バリバリ働きたいという気力も失せていた。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)

 

 

May 27, 2011 09:23

がんと就労
肺がんの胸腔鏡手術から5カ月後。千葉県の男性(54)は、職場復帰した。地域統括部の副部長から部付の部長代理に降格され、仕事の内容も軽くなった。しかし本調子に戻るまでは1年近くが必要だった。抗がん剤を飲みながら、3カ月に一度はCT検査を受け、仕事を続けた。ようやく体力が戻り、無理なく仕事がこなせるようになった2007年秋。人事部の担当者から呼び出された。「審査部にあいているポストがあります。異動する気はありませんか」現在の職場は、全国の支店を統括する営業の最前線で、気苦労も絶えなかった。審査部の業務は、各支店からあがってくる顧客の財務情報を確認する仕事。営業ほどきつくはない。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 26, 2011 12:58

職場復帰後 降格された
3月に入り、職場復帰の意向を部長に伝えた。すると「もっとゆっくり休め」という言葉が返ってきた・実のところ、手術後は体力が衰え、もう少し病んでいたかった。ありがたく従うことにした。季節は夏に変わり、7月に入り、ようやく職場復帰できた。上司の計らいで、週3日、短時間労働の慣らし勤務から始めた。通勤に片道1時間40分かかる身には、朝夕のラッシュを避けられ助かった。仕事の内容も、データ入力など負荷が少ないものを任された。復帰から1カ月語。役職が、副部長から部付の部長代理に降格された。同僚が、自分の代わりに副部長に就任した。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 25, 2011 08:59

働きたい
「予算や人事がまだ決まっていません」。心配する男性に、上司は口々に「今は体を治すことに専念してほしい」 「代役を立てるから大丈夫だ」と言葉をかけた。早めに帰宅し、自宅で夕飯を用意中の妻(53)に告げた。「肺がんだった」。「あら、本当」。妻が動揺を抑えようとしているのが伝わってきた。手術は、2週間後に決まった。気もそぞろで仕事に集中できなかったが、家であれこれ考えるよりはましだと、手術直前まで通勤した。胸に小さな穴を開け、胸腔鏡を入れてがんを切る手術法が選ばれた。リンパ節に転移が見つかったが、抗がん剤でたたくことにした。12日間で退院。1カ月ほど自宅で過ごした。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 24, 2011 08:52

なぜ自分が肺がんに
千葉県に住む男性(54)は2006年2月、人間ドックの受診をきっかけに、左肺上部に腺がんが見つかった。大学病院で告知を受けた瞬間、頭が真っ白になった。「なぜ自分が」。治療方針を説明されても全く頭に入らなかった。会社に戻るため、バスに乗ったところまでは覚えているが、途中の景色の記憶は全くない。職場に戻ると同時に、部長に声をかけた。「どうやら、肺がんらしいんです」。驚いた部長は「すぐに役員に説明したほうがいい」と慌てて呼びに行った。ちょうど年度末で、副部長として、統括する10支店の来年度の収支計画や営業予算を決める時期だった。春の人事異動も控え、所属する部署は一年でも最も忙しい時期を迎えていた。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 23, 2011 08:42

肺がんと診断
3日に1箱のペースでたばこを吸ってきたが、大病の経験はなかった。ただ、今にして思えば、人間ドックの直前は風邪が1カ月近く治らなかった。半信半疑で会社近くのクリニックを受診すると、「東京都内の大学病院で精密検査を受けるように」と言われた。大学病院でCTや肺の組織を調べた。検査結果を見て、年配の医師が申し訳なさそうに告げた。「右肺のうえにがんがあります。手術で切りましょう」。肺がんの中で最も多い、腺がんだった。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 22, 2011 10:03

順調に出世していたのに
大学を卒業後、九州の小倉を振り出しに全国各地の支店を回った。30代前半での支店長就任は、同期の間でも早い方だったという。「自分でいうのも何だけど、部下の適正を見抜き、育てるのがうまかった。できの悪い社員がいると、『あいつの所に送れ』なんて言われたものです」。朝8時過ぎには出社し、仕事が終わると取引先や後輩と飲みに行った。順調に出世を重ね、がんが見つかったときは、本社の地域統括部の副部長の役職にあった。「このまま行けば、役員の一歩手前くらいにはいけるかな」。そんなことを考えていた矢先、人間ドックで、肺に小さな影が見つかった。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 21, 2011 09:16

がんと就労 働きたい
午前7時半に起床。ゴミ出しをして、天気がいいと家の周りを30分ほど歩く。自宅に戻り、新聞を読みながらパンと冷蔵庫の残り物で朝食を済ませる。それから1時間ほど、パソコンでハローワークの求人情報を検索する。月給15万円以上、職種は事務職・・・・。希望に合う仕事が見つかっても、なかなか次の行動に移せない。「今は気持ちがなえていて。すぐに仕事は見つかると思っていたんだけどね」。これまでに20社以上を受験し、落ちた。千葉県に住む男性(54)は2006年2月、肺がんと診断され、手術を受けた。術後も抗がん剤の治療を続けながら、仕事と闘病の両立を図ってきた。しかし1年半前、治療に専念するため、約30年間勤めた東証一部上場の会社を退職した。妻(53)と、大学4年生の息子(21)の3人家族。失業保険も切れ、貯金を取り崩しながらの生活が続く。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・働きたい より)
May 20, 2011 09:53

公演見すえ、激痛耐える
「待って頂けるのなら出させてください。舞台に向けて、治療もけいこも頑張ります」。最初の抗がん剤治療では、4種類の薬剤を2週ごとに計8回点滴する計画だった。2回目までは入院したが、3回目からは通院で行うことができた。薬剤が体内に流れ込むと、腕にトラックでひかれたような鈍痛と、アイスピックで突き刺されたような激痛が襲った。副作用で髪の毛が抜け落ちた。治療中は免疫力が落ちるため、人ごみを避ける必要がある。けいこ場には通えなかったため、けいこの様子を撮影したDVDが自宅に送られてきた。点滴を受けてからの3日間は、全身の激痛と吐き気で立つことさえ難しい。そして、倦怠感が1週間ほど続く。副作用が始まると、リモコンの再生ボタンを何度も押して、演出や振り付けを覚えていった。それでも動きが速い踊りになれば息が切れ、貧血で倒れそうにもなる。DVDの中では代役の演技がうまくなり、共演する「モーニング娘」と息が合っていくのがわかった。「私がいなくたって、舞台は出来上がっているじゃない」。不安が募るばかりだった。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・愛華みれ・舞台はクスリ より)
May 19, 2011 09:33

舞台はクスリ
女優の愛華みれさん(46)は2008年3月、悪性リンパ腫と診断され、翌月の舞台を降板した。年内の仕事も、すべてキャンセルすることになった。20歳で宝塚歌劇団に入ってから、舞台は「生きがい」だった。生まれて初めて仕事に穴をあけてしまい、絶望感に押しつぶされそうになっていた。そんなとき、8月公演予定の「シンデレラ the ミュージカル」の制作側から連絡が入った。配役を代えずに復帰を待ってくれるという。演出は宝塚時代からの恩師、酒井澄夫さん(77)だった。酒井さんには三つの確信があった。血液のがんだった知人が抗がん剤で死ぬほど苦しんだが、1週間もすると苦しみから解放されたこと。宝塚トップスターを務めた愛華さんの度胸なら、ぶっつけ本番でもできること。人間は、一つの希望があれば元気になれること・・・。つらい治療と、けいこが両立できる保証はない。事務所の社長から「どうする?」と聞かれても。迷いはなかった。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・愛華みれ・舞台はクスリ より)
May 18, 2011 08:49

がん治療に専念 覚悟の降板
悪性リンパ腫は、リンパ球が悪性化したがんで、いくつかのタイプに分かれている。愛華さんのがんは「ホジキンリンパ腫」だった。幸い、抗がん剤が効きやすいタイプだった。治療に専念することが大事だと、頭では理解している。しかし、仕事は手放せない。「次の舞台に立ちたいんです。よろしくお願いします」。4月4日開幕のミュージカルまで1カ月を切り、けいこ場と病院を往復する日々が続いた。がんの進行度を調べて最適な治療法を選択するため、骨髄や脳脊髄液の採取など、つらい検査がいくつも続いた。造影剤の影響で、激しい吐き気やじんましんにも苦しめられた。検査だけでも体がフラフラだ。照明が落ちた暗闇の中、セットの階段を下りようとしたときだった。「この階段をもし踏み外したらどうなるだろう」。けいこ中に、経験したことのない恐怖を感じた。高熱が出ても、ぎっくり腰になっても、舞台に穴をあけたことは一度もなかった。だが、公演中に自分が事故を起こせば、降板より無責任なことになるかもしれない。心の葛藤を、事務所の幹部に打ち明けた。「仕事がなくなると、愛華さんは駄目になってしまうと思って黙っていました。降板しましょう。治療に専念しましょう」。その言葉を聞いて、ホっとした。と同時に女優という仕事は終わったとも思った。そう考えていた。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・愛華みれ・舞台はクスリ より)
May 17, 2011 11:21

結婚目前「悪性リンパ腫です」

ネックレスを外そうとすると、指先にゴルフボールほどの膨らみを感じた。「あれ、こんなののなかったよね。ばい菌でも入ったかな」 首の付け根のできた軟らかいしこりは、押しても痛みは感じない。家族の勧めで耳鼻咽喉科の診療所に行くと、「リンパ腫の疑い」と告げられた。「リンパ腫?疑い?リンパが腫れてるってこと?」 どんな病気か知りたくて、書店に入った。医学書には「死を連想させる文字」ばかり。リンパ腫のページをめくる前に店を飛び出してしまった。紹介された癌研有明病院(東京)に足を運ぶまで、1カ月かかった。生検を終えると、診察室で医師が前触れもなく話し始めた。「悪性リンパ腫です。つまり、血液のがんですね」 プロポーズされてから、わずか2カ月。夢にまで見た結婚を目前にして、死を覚悟しなければいけないなんて・・・・・。診察室を出た途端、涙があふれ出た。(朝日新聞・患者を生きる・がんと就労・愛華みれ・舞台はクスリ より)

May 16, 2011 09:45

抗がん剤「もうやらない」と中断
腎臓にがんが見つかった長野県松本市の磯辺紀子さん(73)は昨年6月、次女の恵美さんが住む飯田市内の病院に入院した。右側の腎臓にできた腫瘍は、心臓近くの静脈や、左側の腎臓の静脈の中でも破れやすい場所にまで広がっていた。このままでは、手術はできない。さらに調べると、がんは尿路につながる「腎う」という場所にできる、転移しやすいタイプだとわかった。何もしなければ、余命は1カ月単位。でも、抗がん剤で腫瘍が小さくなれば、手術ができるようになる可能性も残っていた。抗がん剤治療は予想以上につらかった。食欲が落ち、だるさが日毎に増した。水を飲むと「生き返るなあ。水が一番おいしい」と話した。じんましんも出た。副作用に加え、点滴の管につながって動ける範囲が狭まったことや、腎機能障害を防ぐための利尿剤のせいで夜中も1時間おきにトイレへ行くことが、紀子さんには耐えられなかった。抗がん剤が効く望みは、ないわけではない。でも、その確率は低い。医師である恵美さんの夫はそう考えていた。紀子さんと恵美さん夫妻は、病院の談話室で、今後の抗がん剤治療について、話し合った。「縛り付けられたくない。もうやらない」と紀子さんは言った。恵美さんも、日頃から「コロリと逝きたい」と繰り返していた母の思いを尊重しようと考えた。「やめよう。帰ろう」。抗がん剤の中断を決めた。翌日紀子さんは退院し、疲れとだるさをひきずりながら恵美さんの家に戻った。(朝日新聞)
May 15, 2011 09:20

がん細胞だけ標的
「EML4-ALK」は正常細胞にはなく、がん細胞にしかないので、治療薬のターゲットに最適。薬で細胞増殖のスイッチを入れるALKの働きを阻害すれば、がん化が防げる」と、がん遺伝子に詳しい村上善則・東京大医科学研究所教授は言う。がん細胞だけをターゲットにする治療薬は、分子標的薬と呼ばれる。1990年代末から開発され始めた。正常な細胞も攻撃する従来の抗がん剤と異なり、副作用が出にくく、必要量を投与できることが多い。(朝日新聞)
May 14, 2011 09:20

肺がん患者若年層の35%に
間野さんががん研有明病院の協力で調べたところ、肺がんの大半を占める非小細胞がん患者の約5%に、この遺伝子が見つかった。若い患者に多く、50歳以下の全肺がん患者の約35%を占めた。この遺伝子はがん細胞だけにあり、遺伝するわけではない。「ALK」が作るリン酸化酵素は、細胞外から「増殖しろ」という合図を受け取り、細胞増殖のスイッチをオンにする。正常な細胞は必要なときにしか増殖しない。ところが、EML4と融合すると、ALKリン酸化酵素は常にオンの状態になり、細胞増殖に関連するたんぱく質などの分子を活性化し続ける。その結果、細胞が無秩序に増殖し、がん化する。(朝日新聞)
May 13, 2011 09:10

肺がんの新しい原因遺伝子
新しい肺がん遺伝子「EML4-ALK」は、62歳の男性肺がん患者の細胞から見つかった。2種類の遺伝子「ELM4」と「ALK」が何らかの理由でそれぞれ途中でちぎれ、くっついてできていた。EMLは細胞の骨格を作るたんぱく質、ALKはたんぱく質の活性化などの役割を担う「リン酸化酵素」の遺伝子だ。発見者の間野博行・自治医科大教授(東京大特任教授)は2006年、初めてこの遺伝子を見たとき、信じられなかった。ちぎれた二つの遺伝子がくっついた融合遺伝子は、間野さんの本来の専門分野、血液がんではよく知られている。しかし教科書には、肺がんや胃がんなど、「固形がん」には融合遺伝子はない、と書かれていた。「血液がんと固形がんは別の仕組でできると考えられていた。教科書を覆す発見に驚いた」と間野さんは振り返る。(朝日新聞)
May 12, 2011 08:51

肝臓がんの全ゲノム解析
肝臓がんの全遺伝情報(ゲノム)を、国立がん研究センターと東京大先端科学技術研究センターが解読した。「国際がんゲノムコンソーシアム」の一環。C型肝炎に感染後、がんになった男性を調べた。今後は約500人の患者のゲノムを解析、肝臓がんに特有な異常を特定し、診断や治療の開発に役立てる。手術で摘出したがん組織のDNAを解析。白血球のDNAと比べると、がん組織の遺伝子の63カ所でDNAの構造や配列に異常が見つかった。細胞が異常に増殖してがんになるのを抑える遺伝子にも異常があった。(朝日新聞)
May 11, 2011 08:59

がん化リスク低下も
皮膚などの細胞を iPS細胞(人工多能性肝細胞)にせず、直接、必要な細胞に作り替える「ダイレクト・リプログラミング」の研究が活発化している。九州大の鈴木敦史准教授は、肝臓細胞の直接作製に取り組む。鈴木さんは「この手法は、患者の細胞から作れるという、iPS細胞と同じ利点がある。さらに移植すればがん化するiPS細胞を作らないことで、リクスも下がって有利と思う」と話す。
May 10, 2011 08:56

被災者対象「がん電話無料相談」
東日本大震災で被災された人を対象に、「がん無料電話相談」を設けています。主治医と連絡が取れなくなった、通院できず抗がん剤などの治療を中断せざるを得なくなったなど、被災して困っている問題について、専門医が電話で可能な限りお答えします。がんの種類は問いません。土日祝日を除く毎日。午前10時から正午まで。フリーダイヤル0120-822-355 日本対がん協会 (朝日新聞)
May 09, 2011 09:00

余命と死亡率
余命はどうやってわかるの。患者の年齢や体力などで個人差が大きく、正確に知ることはできない。一般論として、5年生存率の曲線などから推測するしかない。死亡率というのもあるが生存率と違うの。死亡率を計算する時の分母はその地域の人口全体。生存率は分母が患者だけなので、まったく違う。国民全体の人口を分母にして出した死亡率の比較が日本人の死亡原因の順位だ。がんが1位、2位が心臓病、3位が脳卒中だ。(朝日新聞)
May 08, 2011 09:38

がん「5年生存率」
どうして5年で区切るの。がんになった人は最初は100%生存しているが、時間が経つにつれ減ってくる、グラフにすると右肩下がりの曲線を描く。ところが多くのがんでは5年を過ぎると曲線が平らに近くなり、がんによる死亡がほぼ無くなる。だから5年で区切ることが多い。(朝日新聞)
May 07, 2011 09:38

がんの生存率
がんの「生存率」はどのように計算するの。生存率でよく使われるのが「5年生存率」。がんと診断された人のうちどれくらいの人が5年後も生存しているかを表す。全国的な統計はなく、病院や学会がそれぞれ集計している。「がんの種類や進行度、治療法によって生存率は異なる。生存率を参照するときは注意が必要だ」と国立がん研究センターの祖父江友孝がん統計研究部長は話す。(朝日新聞)
May 06, 2011 08:43

がんになる要因
がんになるのは、ほかにどんな要因があるの。米ハーバード大ががんで死亡した人を分析したところ、最も大きい要因は喫煙(30%)と食事・肥満(30%)だった。塩分は胃がんのリスクを高めることが分かっている。日本人の場合、食事・肥満が占める割合はもう少し低くなるとみられている。(朝日新聞)
May 05, 2011 09:55

遺伝性のがん体質
血液を約10CC採り、原因となる遺伝子に異常がないか調べる。「遺伝子診断」と呼ばれ遺伝子外来などで相談できる。がん研有明病院遺伝子診療センターの新井正美医師は「遺伝子の変化が分かれば、がんを早く発見して治療するため、計画的に検診するなど予防を心がけ生涯にわたりケアする」という。(朝日新聞)
May 04, 2011 19:21

がんと遺伝子
がんになりやすい体質になる遺伝子とは。細胞の増殖を調節するブレーキ役の遺伝子や増殖を促進させるアクセル役の遺伝子に変異があると、がんを抑えられなかったり、がんが増え続けたりする。このような遺伝子の変異があるとがんになりやすい体質と考えられる。遺伝性で多いがんは。遺伝性の乳がんと大腸がんだ。遺伝性のがんは家系に同じがんの患者が複数いたり、何回もがんにかかっている人がいたり、若いうちから発症している人がいたりするのが特徴だ。(朝日新聞)
May 03, 2011 09:24

がん家系はある?
「うちはがん家系」と言う人がいるけれど、がんは遺伝する病気なの? がんの原因は、喫煙や食べ物の偏りなどさまざまだが、遺伝の影響は5%ほど。一種類の遺伝子に異常があるとほぼ確実にがんになるリスクの高い要因から、複数の遺伝子と生活習慣などが複合的に影響してがんになりやすくなるという弱い要因まである。(朝日新聞)
May 02, 2011 09:48

がんの罹患状況
国立がん研究センターのまとめでは、2005年にがんと診断された男性では、一番多かったのは胃がんで、肺がん、前立腺がんが続いた。女性は乳がんが一番多く、胃がん、結腸がんが続いた。死亡者数では、男女合わせると、肺がんが一番多く、次いで胃がん、肝臓がんが多い。(朝日新聞)
May 01, 2011 09:20


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