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人生のロスタイム長く
インターフェロンにはさまざまな副作用があり、高齢者ほど出やすいという。自分の年齢で治療を受けるのは難しいことも知った。それでも「条件があえば受けたい」と伝えた。伊東さんは「治療に負けない意気込みが大事」と励ました。体力をつけようと、毎朝約1時間半歩いて副作用に備えた。手術から2年後、週1回のペグインターフェロン治療が始まった。半年後にはリバビリンとの併用療法に。3週間ほど微熱が出て、肺炎のため一時休薬もしたが、治療開始から約2年後にはウイルスも陰性化した。だがその翌月に、がんの再発がわかった。「やっぱりもぐらたたきか」と落ち込んだが、がんに電極を刺してラジオ波をあてて焼く方法もあると聞いた。2カ月後に県立総合病院で治療を受け、再びがんは消えた。1年後には、ペグインターフェロンとリバビリンの併用療法を再開。昨年4月に1年半の治療が終り、半年後の検査でもウイルスは陰性だった。伊東さんと「完全駆除」の記念撮影をし、祝った。肝切除手術を受けたとき、大場さんからは「5年生存率は60%」と言われていた。「あれからもう8年、人生のロスタイムが長くなったと感じています」。(朝日新聞・患者を生きる・感染症・C型肝炎 より)

Nov 30, 2011 08:59

肝臓の切除手術
C型肝炎による肝がんを発症した静岡県島田市の杉村功さん(75)は、エタノール注入療法を受けたが、2003年8月にがんが再発した。主治医の伊東クリニック院長、伊東和樹さん(61)は、「再発の可能性はあるが、最も効果的なのは肝臓の切除手術」と、手術を勧めた。2カ月後、静岡県立総合病院で手術を受けた。執刀した大場範行(53)から「がんは取りきれた」と言われ、気持ちが楽になった。退院後、伊東さんは「がんは、取っても別のところから出てくるもぐらたたきだ」と、あえて厳しいことを言った。治療に負けない気持ちを持ってほしかった。再発への不安を打ち消そうと、杉村さんは毎月の定期検査やクリニックで開かれる勉強会に欠かさず通った。その中でインターフェロン治療の話も聞き、「自分も受けたい」と思うようになった。がんがなくなっても、ウイルスがいたままでは、不安だった。(朝日新聞・患者を生きる・感染症・C型肝炎 より)
Nov 29, 2011 08:44

がんとの長い付き合いの始まり
見つかったがんの直径は、1.5センチ大が二つだった。医師に「この位なら、エタノールを注入すれば、がんを殺すことができる」と言われ、治療にかかってみる気持ちになった。おなかから針を刺し、がんに直接エタノールを注入する療法を、入院して3回受けた。しかし、がんは完全には消えなかった。医師は「とりあえず経過をみましょう」と説明するだけで、「ここでは治らないのでは」と不安が募った。肝がん治療の新聞記事などでよく目にしていた静岡県立総合病院(静岡市)への紹介を求めた。予約の電話をすると、この病院で週1回、外来を担当していた伊東クリニック(焼津市)院長の伊東和樹さん(61)を紹介された。クリニックで経過観察中に、がんが大きくなった。2003年2月、県立総合病院で伊東さんからエタノール注入療法を受けた。伊藤さんは「この療法は完全ではなく、再発とのいたちごっこだよ」とくぎを刺していたが、案の定、半年後に1.6センチ大のがんが見つかった。がんとの長い付き合いの始まりだった。(朝日新聞・患者を生きる・感染症・C型肝炎 より)
Nov 28, 2011 08:44

肝がん「とうとうきたか」
静岡県島田市の元税務署員、杉村功さん(75)は30年来、C型肝炎とつきあってきた。9年前の1月、かかりつけの医師に超音波検査してもらったら「肝臓に黒い影がある」。すぐに近くの総合病院でCTと血液の検査を受け、C型肝炎ウイルスによる肝がんと診断された。「とうとうきたか」。浜松税務署にいた42歳のとき、人間ドックで「肝機能の検査値が正常値の3倍近い」と言われ、すぐに治療するよう勧められた。自覚症状はなかった。週2回、肝臓の炎症を抑えるグリチルリチン製剤の注射を始めたが、忙しかったこともあり、5年でやめてしまっていた。年齢的にがんが気になってきた58歳から、再び注射を打つようになった。肝炎とがんの関係は怖くて聞けず、C型肝炎のこともよく知らなかった。がんと診断された後に、図書館などで肝炎に関する本を読みあさった。肝がんの原因の多くがC型肝炎で、治療しても再発しやすいことを初めて知った。「もう長くは生きられないのか」と、落ち込んだ。(朝日新聞・患者を生きる・感染症・C型肝炎 より)
Nov 27, 2011 10:05

「新薬ハラヴェン」通院治療も可能
ハラヴェンは、エーザイが開発した抗がん剤で、今年7月に発売された。細胞分裂で重要な役割を担う微小管が伸びるのを抑え、がん細胞が増えるのを抑える、という仕組みだ。女性の主治医の高野利美・臨床腫瘍科部長は「乳がんの薬に、また一つ選択肢が増えた」という。国際共同治験では、再発後、ハラヴェン以外の抗がん剤を試した患者762人を、ハラヴェンだけを使う患者と他の抗がん剤やホルモン剤治療を受ける患者に無作為に分けて効果をみた。その結果、生存期間の中央値は、ハラヴェンを使った患者は13.2カ月、他の治療を受けた患者は10.5カ月と、2.7カ月の延命効果が確認できた。日本でも80人を対象に効果や安全性を確認する治験が行われ、同様の結果が出た。(朝日新聞)
Nov 26, 2011 08:53

再発乳がん 広がる選択肢
乳がんが再発した患者向けに、日本発の新しい抗がん剤「ハラヴェン」が登場した。ほかの抗がん剤が効かなくなった後でも、生存期間を延ばす効果が確認された。数分間の点滴で終わるため、通院治療も可能だ。治療の選択肢が広がると期待されている。東京都品川区に住む会社員の女性(54)は9月から、虎の門病院(東京都港区)でハラヴェンによる治療を始めた。乳がんが見つかったのは11年前。全摘手術を受け、ホルモン治療を続けたが、2005年に肝臓に再発・転移した。その後、腹膜にも転移。複数の抗がん剤を使ったが、腫瘍マーカーの値が上がってきたため、薬を切り替えた。週に1回の点滴を2週間続け、3週目は休む、というサイクルで、仕事との両立も可能という。「点滴は3分ほどで終わる。会社に一刻も早く戻りたいので、助かります」と話す。(朝日新聞)
Nov 25, 2011 08:37

乳がん早期発見の大切さ
名古屋では今年初めて開催された。準備段階から携わり、様々な場所で乳がん早期発見の大切さを呼びかけてきたのが、タレントで書道家の矢野きよ美さんだ。久屋大通公園を発着地に10月8日、約1000人が参加したスマイルウオークでは、パワフルな語り口で河村たかし名古屋市長とトークを繰り広げた。壇上にはマンモグラフィーの機械も登場した。「名古屋の女性には『自分のことは後でいいわ』という人が本当に多い。女性だけでなく、お父ちゃんや子どもにも、検診の大切さを知ってもらいたい」と力説する。活動に関わるようになったのは、2008年。その後の検診で、要再検査と診断された。精密検査へ向かった病院の待合室で友だちと出合ったという。彼女は乳がんで、手術もしていた。「診察室で大丈夫だと結果を聞いて出てきたとき、その子が、よかった、って泣いて言ったの」。改めて乳がんは身近な病気だと感じた。以来、どんな服装のときも毎日必ずピンクリボンのバッジを胸元につけている。(朝日新聞)
Nov 24, 2011 08:11

ピンクリボンフェスティバル2011
開催8年目の神戸では、毎年10月1日に実施されるライトアップに今年から神戸海洋博物館が加わり、ピンクに染まった夜景が乳をがん月間の始まりを告げた。15日に開かれたシンポジウムでは、約600人の人が耳を傾けた。16日に東遊園地を発着地として行われたスマイルウオークには、ゲストにアーティスティックシンクロコーチの小谷実可子さん、歌手のアグネス・チャンさんを迎え、約3500人が参加した。仙台の10月1日の街頭キャンペーンには、震災後に本拠地を仙台に移した女子バレーボールチーム「仙台ベルフィーユ」の選手ら仙台推進委員会のメンバーが参加。啓発パンフレットやピンクリボンバッジを配った。ゲストにプロフィギアスケーターの八木沼純子さんを迎えて29日に開催されたスマイルウオークには、約1600人が参加した。(朝日新聞)
Nov 23, 2011 08:03

乳がん検診 希望の輪
乳がん月間の初日である10月1日に東京ミッドタウンで開催されたピンクリボンスマイルウオークには、約5600人が参加。スポーツキャスターの荻原次晴さんらが参加者とともに街を歩いた。タレントの山田邦子さんが団長で、がんの闘病経験がある芸能人ら総勢16人による「スター混声合唱団」のコンサートも開かれた。会場では、乳がん検診無料クーポン券の枚数限定配布が行われた。2日のシンポジウムには約750人が参加。専門医による講演のほか、乳がん経験者でモデルのMAIKOさんが、タレントの中島史恵さんとの対談で家族や周囲の人に支えられて治療を乗り切った経験を話した。(朝日新聞)
Nov 22, 2011 08:18

がん予防・検診 大切な人のためにも
自分のため、大切な人のために、子宮頸がんのことを知って欲しい。若い女性に増えている子宮頸がんについて、学生が同世代に語り、予防啓発をしている「女子大生リボンムーブメント」。大学入学後に参加を決めた時、まさか自分の一番身近な人がその病に襲われるとは、思ってもいなかった。長野市で暮らす母に、卵巣腫瘍があると分かったのは昨年夏。「早く手術を受けて」と、学生生活をおくる横浜市から何度電話をしても、「妹の高校受験が終わるまで入院はできない」と言うばかり。「『体を大切に』と、人には伝えているのに、自分は大切な人を守ることもできないのか」。活動を続ける意味があるのか悩んでいたとき、幼い娘がいる、一人の女性がん患者に出会った。「この子がそばにいたから、自分は生きなきゃと思った」と言う言葉に、「自分だから伝えられることがあるはずだ」と気づいた。今年2月、母校の長野県長野高校で出張授業を企画した。「子宮頸がんを知っていますか」との問いに、手を挙げたのは数人。「ワクチンをいま接種すれば予防できるんだよ」と伝えると、ある男子生徒は「僕も彼女にワクチンを受けさせます」と照れながら話した。母は今春、卵巣腫瘍に加えて、初期の子宮頸がんもあることが分かった。子宮の全摘手術を受け、いまは仕事にも復帰している。常に不安はあるが、もし仲間の支えや病気の知識がなければ、自分はパニックになっていたと思う。女子大生ら2100人に昨年夏アンケートしたところ、子宮頸がんを知っていたのは65%。実際に検診を受けた学生はわずか5%だった。「予防できるのだから、この病気で悲しい思いをする人をなくしたい」。(朝日新聞)
Nov 21, 2011 08:25

がん対策 どう変わる?
第2期では、どんな点が変わるの?小児がん対策が追加される見通しだ。これまでは成人患者が大半を占める胃や肺、大腸、乳、肝臓のがんを対象とした対策がほとんどだった。患者会代表の天野慎介・同協議会会長代理は「患者の『社会的痛み』と呼ばれる就労の問題や治療費の経済的負担の問題などへの対策も盛り込みたい」という。焦点の一つは、たばこ対策がどう盛り込まれるか。確実にがんの原因になっているにもかかわらず、政府内で調整がつかず、現行の計画は、成人のたばこ対策が抜け落ちている。今後の予定は?来年2月頃に基本計画の改定について一般からの意見を募り、今年度内に閣議決定する。(朝日新聞)
Nov 20, 2011 08:30

がん対策 何が変わった?
厚生労働省健康局の鷲見学がん対策推進室長は「がん診療連携拠点病院や相談支援センターなど対策を推進していく基盤と枠組みができた。必要な予算を確保する上の柱ができた点も大きい」と言う。一方、同省の外山千也・健康局長は「他の疾病対策にもたらした影響も少なくない」と評価する。がん対策基本法が施行されるまで、結核予防法を廃して感染症方に統合するなど、個別の疾患名を冠した法律から大きな枠組みの法律への転換が進んでいた。がん対策基本法はそういた傾向に一石を投じ、昨年1月に施行された肝炎対策基本法につながったという。基本計画の改定に関わるがん対策推進協議会の委員20人のうち5人が患者。これも画期的なことと言う。(朝日新聞)
Nov 19, 2011 08:42

がん対策推進基本計画の成果
目標の達成度は?相談支援センターの設置や、放射線治療や化学療法部門の設置などは目標を達成したが、検診の受診率など達成が絶望的な目標もある。基本計画づくりの根拠となっているがん対策基本法は」どんな法律?2007年12月に胸腺がんのため58歳で亡くなった山本孝史・参院議員らの尽力でできた。がん対策の基本理念や基本施策を記した法律だ。がんの克服を目指して基本計画をつくり、がん医療の地域格差をなくすことなどを定めている。基本法ができた背景には、海外で承認されている抗がん剤が国内では未承認という「ドラッグラグ」や、希望する治療が受けられる施設を探して病院を転々とする「がん難民」の解消などを求める声の高まりがあった。(朝日新聞)
Nov 18, 2011 08:13

がん対策推進基本計画
がん対策推進基本計画ってどんな計画?2007年4月に施行された「がん対策基本法」に基づくもので、国や都道府県などのがん対策の基本的な方向を示す。対策を実施する上での基本方針は①がん患者を含む国民の視点に立つ。②重点課題を定め、総合的かつ計画的に、という2点だ。10年以内に75歳未満のがん死亡率を20%減らし、すべてのがん患者・家族の苦痛を軽減して療養生活の質を向上させることを全体目標として掲げる。具体的な対策は?重点課題は3つ。①放射線療法(治療)と抗がん剤による化学療法の推進と、それぞれの専門医の育成。②患者と家族が質の高い療養生活を送れるように治療の初期段階から痛みを和らげる緩和ケアを導入し、在宅療養を充実。③治療や生存率などを分析できるようにするための「がん登録」の推進の3点だ。(朝日新聞)
Nov 17, 2011 08:06

がん再発を知るてがかり
がんと確定診断され、治療を受けた人の再発や転移の有無を調べる際の腫瘍マーカー検査や、薬の効果を調べる検査は、公的医療保険で実施できるものも少なくない。中面さんらが、国立がん研究センター東病院で肝臓がんの手術を受けた患者約160人の術前と術後の腫瘍マーカーAFPの量を調べたところ、術前にAFPの値が高かった約80人のうち約60人が再発した。そのうち8割は、術後もAFPの値が高いままだった。一方、再発しなかった約20人のうち8割は、AFPの値が十分に下がっていた。術前にAFP値が低かった約80人のうち約50人も再発した。多くは再発時もAFPが低いままで、もともとAFP値が低いとAFPで術後の再発の有無が予測できないこともわかった。中面さんは「患者さんを集団でみると腫瘍マーカーの値は、がんの再発などで上昇することが多い。個人の検査値を継続的に観察するのは治療効果や再発の有無を調べる上で有用です」と言う。(朝日新聞)
Nov 16, 2011 08:16

がん確定診断は無理
ただし、「腫瘍マーカーは、がんがある程度大きくならないと血液や尿から検出できる量にならないため、がんの早期発見には向いていません」と今井さんは言う。また、腫瘍マーカーの種類にもよるが、複数のがんで作られる物質があるため、「がんが体内にある可能性が高いことは分かるものの、どこにあるのか特定できないことも少なくありません」と国立がん研究センター東病院臨床開発センター機能再生室の中面哲也室長は話す。がんがあっても主要マーカーが増えない人もおり、腫瘍マーカーだけでがんがない、とも言い切れない。一方、がん以外の疾患でも量が増える腫瘍マーカーも少なくない。肝臓がんの腫瘍マーカー「AFP(αフェトプロティン)」や前立腺がんの「PSA(前立腺特異抗原)」は、他の臓器のがんでは殆ど増えないが、肝硬変や前立腺肥大などでも増える。中面さんは「現状では、腫瘍マーカーだけではがんの確定診断はできません。最終的には画像診断や病理診断による確認が必要です」と言う。(朝日新聞)

Nov 15, 2011 08:16

腫瘍マーカー
腫瘍マーカーは、がん細胞の目印となる物質だ。原則として正常細胞では作られず、主にがん細胞で作られる、たんぱく質や糖鎖などを指す。最近は、がん細胞に特有の遺伝子の変異も含めて「腫瘍マーカー」と呼ぶことが多い。「腫瘍マーカー検査には、大まかに分けて3種類の目的があります」と東京大医科学研究所付属病院の今井浩三院長は説明する。▽がんの有無を調べる「存在診断」。▽手術や抗がん剤などの治療を受ける前後で継続的に量を検査し、治療効果や再発、転移の有無を見る。▽がん細胞の特定の遺伝子の変化を調べ、抗がん剤が効くかどうかをみる、という3種類だ。人間ドックなどで実施されているのはがんの存在診断だ。がん細胞から体内の血液や尿の中に流れ出したたんぱく質や糖鎖などの量を調べ、多ければがんができている可能性が高い。採血か採尿だけで済むため、検査を受ける人の肉体的負担は軽い。事前に下剤を大量に飲む大腸の内視鏡検査より楽だし、X線やCTコンピュータ断層撮影)、PET(陽電子放射断層撮影)のような被曝もない。(朝日新聞)」
Nov 14, 2011 08:08

生存率ほぼ変わらず
ミニ移植は、日本ではここ10年ほどで盛んになった。国立がん研究センター血液腫瘍科・造血幹細胞移植科の福田隆浩副科長によると、1997~2000年、造血幹細胞をそっくり入れ替える従来の「フル移植」725件、ミニ移植36件。2005年~2008年はフル移植2354件に対し1366件と大きく伸びている。50歳以上の移植件数も129件から1619件と10倍以上に増えた。フル移植は放射線治療を徹底するなど体への負担が大きい。おおむね55歳以上の人や臓器に生涯がある患者は受けられなかったが、ミニ移植なら受けられる。海外の調査では、ミニ移植はフル移植に比べ再発率が高く、フル移植は再発以外の原因で死亡する率が高い。生存率はほぼ同じ。国内で年齢などの条件をそろえて比べると、再発率も再発以外の死亡率も差が出なかった。これまで若くて臓器などに問題のない患者は原則フル移植だった。しかし、子どもの患者の場合、強い前処置による発達障害の危険性を避けるため、ミニ移植を選ぶという研究も始まっている。(朝日新聞)
Nov 13, 2011 08:18

移植片対白血病(GVL)効果
移植自体は治療の主役ではなかったが、大阪市立大病院の日野雅之教授(血液腫瘍制御学)は「放射線と抗がん剤の前処置が重要と思われてきたが、それだけで治っているのではないとわかってきた」。放射線などで壊したはずでもがん細胞が残ることがあり、それが増えると再発する。再発率の研究から、移植自体にも重要な役割があることが見えてきた。カギは移植後の副作用「移植片対宿主(GVH)病」と再発率の関係にある。GVH病は各種の移植で最も怖い副作用の一つ。提供された臓器や血液にある他人のリンパ液が、患者自身の臓器や組織を逆に他人とみなして攻撃する。白血病の再発率は、このGVH病が起きた患者のほうが低かった。一卵性双生児間の移植はもっとも再発率が高い。遺伝子が同じため、リンパ球が他人とみなすことがないからという。GVH病やそれに近い症状になると、移植された他人のリンパ球が、患者の体に残ったがん細胞を敵とみなして倒す。これを「移植片対白血病(GVL)効果」という。ミニ移植はこの効果を積極的に利用した。「毒をもって毒を制す」という逆転の発想だ。(朝日新聞)
Nov 12, 2011 08:49

移植前の治療が軽減
「ミニ移植」は、移植前の治療の際に放射線や抗がん剤の強さを弱めたり、抗がん剤のみにしたりする。体への負担は少なくなるが、患者自身の血液細胞とともにがん細胞もある程度残る。そこに造血幹細胞を移植すると、患者と提供者の血液細胞が混ざった状態になり、移植されたリンパ球が残ったがん細胞を「敵」とみなして攻撃する。移植による従来の治療法「フル移植」は、移植の前に放射線や強い抗がん剤による処置で、がん化した白血球を徹底的に壊し尽くす。こうした治療の結果、がん細胞だけでなく、患者の骨髄の中の正常な血液細胞(白血球や造血幹細胞)まで死に絶え、血液を造る能力が失われる。その機能を補うために、他人の造血幹細胞を移植する。(朝日新聞)
Nov 11, 2011 08:58

白血病「ミニ移植」効果
大阪府の女性(64)は2005年の暮れ、37度台の微熱と全身のだるさに苦しんだ。病院でもらった抗生物質を3日間飲んでもよくならない。それどころか、突然高熱が出た。病院で血液検査を受け、「急性骨髄性白血病」と診断された。抗がん剤治療を9カ月ほど続けたが、血液の細胞に変異があり、効きにくいタイプとわかった。主治医から移植を勧められた。そのとき59歳。年齢的には通常の移植の対象外だったが、「ミニ移植ならできる」と言われ、2007年10月、臍帯血のミニ移植を受けた。「手術直後は口内炎がひどく何も食べられなかったけど、いまは好きなものを食べて普通に生活しています。移植を受けたこともだんだん記憶から薄れています」。以降ずっと、がん細胞は見つかっていない。(朝日新聞)
Nov 10, 2011 08:30

乳がん早期発見には定期的な検診
各自治体が乳がん検診の受診率アップに向け、様々な事業を進めていますから、そうした助成を活用し、40歳を過ぎたら2年に一度はマンモグラフィ検診を受けるようにしましょう。お風呂上りなどにご自身の乳房を注意深く触り、しこりを自己検診する習慣も身につけていただきたいものです。、乳がんは女性だけの問題ではありません。奥さんや家族、友人や同僚など、大切な人を乳がんで失わないために、男性から乳がん検診の定期的な受診を勧めてあげてください。奥さんが乳がん検診を受ける日には、ご主人がお子さんの面倒を見てあげて、受診しやすい環境を作るような心がけも大切だと思います。(朝日新聞)
Nov 09, 2011 08:03

乳がん早期発見で低侵襲治療
乳がんは、早期発見できれば「治療しやすいがん」だそうですが、ひと昔前まで、乳がんの手術は乳房及び腋窩のリンパ節を大きく、広範囲に切除していたため、腕にひどい腫れが生じたり、運動障害が発生したりしていました。現在、腋窩リンパ節の見張り番である「センチネルリンパ節」を病理学的に検査し、ここに転移が見られなければリンパ節はそれ以上切除しない低侵襲な手術が可能になりました。さらに、腫瘍の大きさが3.0センチ以内であれば、乳房を温存することができます。エストロゲンの分泌を抑え、がんの再発を防ぐ「ホルモン療法」も進歩しています。(朝日新聞)
Nov 08, 2011 08:11

増え続ける乳がん患者数
乳がん患者数の増加が著しいそうですね。初経の低年齢化、閉経の高年齢化、平均初産年齢が遅くなっていることや出産・授乳歴の無い女性が増えていることなどが、乳がん増加の主な原因です。乳がんの発生には、「エストロゲン」という女性ホルモンが深くか関わっているのですが、早い初経、遅い閉経、出産・授乳歴の減少などによって、乳腺の細胞ががん化しやすくなっているのです。タバコを吸い続けると肺がん、紫外線を浴び続けると皮膚がんのリスクが高まるのと同様、エストロゲンに曝露される期間が長いほど、乳がんリスクが高まります。閉経後、卵巣からのホルモン分泌はほぼストップするのですが、その後は脂肪組織で女性ホルモンが産生されるため、閉経後の肥満も乳がんのリスクとなります。その他、過度の飲酒、喫煙習慣も乳がんのリスクファクターです。(朝日新聞)
Nov 07, 2011 08:48

費用・期間・傷・・・・考え選ぶ
乳頭や乳輪は、再建が落ち着いた数カ月後に作成する。乳頭は、もう片側の乳頭の一部を切ったり、皮膚を盛り上げたりして作る。乳輪は、皮膚の色の濃い太ももの付け根の部分の移植や、入れ墨などの方法がある。再建のタイミングには、がん手術と同時に行う一期再建と、手術後、約1年以上経ってから行う二期再建がある。一騎再建は、乳房喪失感を余り感じずに済み、手術回数も1回減らせる。二期再建は、情報収集や医師探しに時間をかけられる。ただ、温存手術後は放射線治療を受けていると、皮膚がやけどを起こして伸びが悪くなる。昭和大学医学部乳腺外科の中村清吾教授は「再建を希望する人は、乳房を温存するか全摘するかの治療方針を決める際、主治医に相談して」と話す。再建後の乳房に求めるイメージは、「膨らみがあればOK」という人から、左右の対称性や、乳首の位置・形にこだわる人までいる。「元通りになる」のではなく、「再び立て直すという感覚でいて欲しい」とブレストサージャリークリニック(東京都)の岩平佳子院長はアドバイスする。(朝日新聞・患者を生きる・女性と病気・乳房再建・情報編 より)

Nov 06, 2011 09:18

乳房再建 考え選ぶ
がん治療で乳房を失っても、乳房は再建できる。胸の膨らみを作る材料に何を使うかにより、二通りの方法がある。一つ目が、腹や背中の脂肪と筋肉を、血管を付けたまま胸に移植する筋皮弁法だ。再建後の手触りは自然だが、腹や背中に傷痕が残る。約2週間以上の入院が必要で、筋肉を失うため力が入らなくなることもある。「患者を生きる 乳房再建」で桑田ゆかりさんが選んだ穿通枝皮弁法は、脂肪と細かい血管のもを移す。通常の筋皮弁法に比べ高い技術が必要とされ、国内での実施医療機関は数箇所に限られる。いずれも公的医療保険が適用される。1カ月に一定額以上の医療費を支払った場合、高額療養費制度も利用できる。もう一つが、人工物を入れる方法だ。胸の皮膚を伸ばす組織拡張器を入れ、数カ月間かけて生理食塩水を注入。皮膚が伸びたところで、拡張器をシリコーンなどに置き換える。自分の組織を犠牲にせず、手術時間が短く、日帰り手術も可能だ。しかし保険適用外で、100万円を超える場合もある。(朝日新聞・患者を生きる・女性と病気・乳房再建・情報編 より)
Nov 05, 2011 08:02

泳いで走って 気分弾む
9月半ば、乳がんの経過観察で甲府共立病院を訪れた。「本当にできたんだ」。主治医の飯塚恒医師(46)は、柔らかさに驚いた。筋肉とはやはり硬さが違う。デパートの下着売場で、華やかな柄のブラジャーを選べる。泳ぐときも、パッドがずれる心配はない。ジムでシャワー後、バスタオルを巻いて更衣室を闊歩できる。おなかの皮膚を使ったため肌の色は少し違うが、自分はあまり気にならない。何をするのも気分が弾んだ。秋には、市民マラソンレースに出場、約11キロを完走した。皮膚の感触は1年後に戻った。その2カ月後、修正手術を受けた。左乳房の乳輪を一部切り取り、右乳房に移植し、乳首をこしらえた。乳首の形や左右の乳房のバランスも整えた。2007年、患者会「SOG」を立ち上げた。「すてきな、おっぱい、ゲット」の頭文字だ。自分はいいタイミングで情報を得て、医師にも恵まれた。乳房再建に悩む人の気持ちに応えたいと、年に何度か講演会を開く。時には、再建した乳房とおなかの傷痕を見せる。「こんな感じです。触ってみてください」。(朝日新聞・患者を生きる・女性と病気・乳房再建 より)
Nov 04, 2011 08:24

穿通枝皮弁法再建手術
乳がんの全摘手術から1年4カ月後の2005年8月、山梨県大月市の桑田ゆかりさん(52)は、横浜市立大付属市民総合医療センターで、おなかの脂肪を使って乳房を作る穿通枝皮弁法による再建手術を受けた。乳房や腹部の組織を落ち着かせて、縫い合わせた部分の血管に負担をかけないため、48時間は同じ姿勢でベッドに寝ていなくてはならない。排尿は管を通じて行い、3日目から少しづつ動けるようになった。4日目。「順調、順調」。形成外科の佐武利彦医師(47)ににこやかに言われ、透明テープでグルグル巻きにされていた胸が姿を現した。感覚はないが、膨らみがある。それだけでうれしい。何度も眺め、触った。手術から10日後、電車で自宅へ帰った。「主婦はリハビリは必要ない」と言われ、普段通りに家事をした。洗濯物を干すときに少し引きつるような違和感があったが、まもなく消えた。佐武さんから許可をもらい、21日目にはプールに行った。体を慣らすだけのつもりがうれしくて、クロールで泳いでいた。(朝日新聞・患者を生きる・女性と病気・乳房再建 より)
Nov 03, 2011 08:18

先輩の体験に背中押され
この日、同じ方法で乳房再建をした「先輩患者」が数人、診察室の隣にある応接室に集まっていた。再建後の胸を触らせてもらったり、術後の様子を聞いたりして、イメージがわいた。標準的な手術法でない分、リスクもあるが、この先生ならと信頼感を持った。「失敗しても、私にはまだたくさん脂肪があるわ」と、楽観的に考えた。再建する乳房のイメージは、それぞれだ。桑田さんの場合は、左側と同じ膨らみが右側にでき、運動ができれば、出来上がりの形などは二の次だった。手術日は8月の盆明け。前日に佐武さんが、胸や腹に油性フエルトペンで書き込んだ。皮膚のどこを切り、どこをつなげるか。手術の「設計図」だった。手術では、その下側の腹を真一文字に約50センチ切って、約1キロ分の脂肪を皮膚ごと切り出した。ふくよかな桑田さんに必要な量だった。大きさ約0.4ミリの血管の一部も一緒に切り取り、右胸に移植し、血流を通した。10時間にわたる手術だった。個室に戻り、麻酔が切れて目覚めた瞬間、声をあげた。「あなか空いた」。(朝日新聞・患者を生きる・女性と病気・乳房再建 より)
Nov 02, 2011 08:08

脂肪と血管のみで移植
脂肪と血管のみで移植する方法での乳房再建を検討していた山梨県大月市の桑田ゆかりさん(52)は2005年4月、横浜市立大付属市民総合医療センター形成外科を受診した。右胸の全摘手術から1年。雨が降りそうな、肌寒い日だった。診察室に入った桑田さんに、佐武俊彦医師(47)は、振り向きざまに開口一番、言った。「大月は、雨降ってましたか?」。胸の状態を聞かれるとばかり思っていたので、拍子抜けした。緊張が少しほぐれた。佐武さんは紹介状を見て、全摘手術のときに大胸筋と筋肉の膜は切ったが、胸の筋肉の神経は温存していること、術後1年で安定状態にあることを確認した。また移植に必要な脂肪が腹部にあることも確かめた。「すぐに決めなくていいです。信頼関係ができてから、手術するかどうか決めましょう」。佐武さんは、説明を始めた。細い血管を縫うため、移植した組織に十分血液が通らずに、組織が壊死する恐れがある。そうなれば、再び再建手術が必要だ。感染症のリスクもある。(朝日新聞・患者を生きる・女性と病気・乳房再建 より)
Nov 01, 2011 08:07


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