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治療に新たな選択肢 3
肝細胞がんは抗がん剤が効きにくいと考えられてきたが、分子標的薬「ソラフェニブ」はがんの増殖を抑える効果が確認され、2009年に公的医療保険が適用された。杏林大の古瀬純司教授(腫瘍内科)は「がんを根治する薬ではないが、切除不能の患者さんにとって希望となる」と話す。また、放射線の一種である陽子線や重粒子線を当て、がんの遺伝子を破壊する「粒子線治療」も、先進医療として導入され、研究が進められている。がんが肝臓内の重要な血管を塞いでいる場合や、大きすぎて切除できない場合、ほかの持病があって手術を受けられない場合などに有効とされている。(4月28日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 31, 2013 07:46

治療に新たな選択肢 2
切除を検討するのは、肝硬変の程度が軽度か中程度で、がんの数が3個以内、などの条件が満たされる場合。がんの根治が期待できる方法だが、該当する患者は3割ほどだ。熱擬固療法を選択するのは、がんの大きさが3センチ以下で、3個以内にとどまっている場合。がんのある場所の皮膚の上から電極針を差し込み、熱でがん細胞を死滅させる。がんが4個以上あり、切除できない場合には、肝動脈塞栓療法が適応になる。がんにつながる肝動脈にカテーテルでゼラチン粒を流し込み、血管を詰めて栄養を絶つ。再発しても繰り返し治療できるのが利点だ。これらの3大治療に加え、新しい選択肢も増えている。(4月28日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 30, 2013 07:15

治療に新たな選択肢
肝臓がんで亡くなる人は年間約3万2千人で、肺がん、胃がん、大腸がんに次ぐ。大部分は「肝細胞がん」というタイプが占める。治療しても肝臓の中でしばしば再発を繰り返す。患者の多くはB型、C型肝炎ウイルスの感染が原因。しかし近年、いずれのウイルスにも感染していない患者が増えている。日本大の高山忠利教授(消化器外科)は、「糖尿病や肥満、高血圧症などが関連している」と指摘する。治療の柱は、手術による切除、熱擬固療法、肝動脈塞栓療法の三つ。日本肝臓学界の「肝癌診療ガイドライン(2009年版)では、肝機能の状態やがんの大きさ、がんの数によって治療方針を決める。(4月28日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 29, 2013 07:52

粒子線治療、望みかける 2
今月25日、肝臓のがんに陽子線を、背骨に重粒子線を当てる治療が始まった。治療台に体を固定し、CT画像で確認したがんの形や大きさに合わせ、放射線を照射する。治療は数分間で、熱も痛みも感じなかった。肝臓と背骨に各20回、治療は5月下旬まで続ける予定だ。体調はよく、食事も今まで通り。「一日でも長く、この生活を」。そう思いながら、治療結果に望みをかける。分かるのは早ければ3カ月後だ。かつて消防士として、数々の火災現場に飛び込んだ。助けられない命を前に、何度も悔しい思いをしてきた。だからこそ、この信念は揺らがない。「諦めたらおしまい。だから最後まで闘い続ける」。(4月27日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 28, 2013 07:37

粒子線医療センターを受診
「できることがあれば、僕は応援しますよ」。森口さんはそう言うと、紹介状を目の前で書いた。和歌山へ戻る電車の中でその言葉を思い出し、夫婦二人、涙を流した。3月15日、兵庫県立粒子線医療センターを受診した。肝臓のがんは、すでに5センチを超えるものなど複数あった。後日、精密検査をすると、背骨にもがんが見つかった。初めての転移だった。放射線科医師の橋本直樹さん(33)に「すべてを治療することは難しいですが、それでもよいですか」と問われ、頭を下げた。「できる限りのことをお願いします」。(4月27日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 27, 2013 07:45

粒子線治療、望みかける
肝臓がんは、再発を何度も繰り返すことが多い。和歌山市の豊田富史さん(69)は、約6年で2度の手術、15回の肝動脈塞栓療法を受けたが、がんの再発は止まらなかった。「先生、この治療を受けたいんです」。今年3月6日、意を決して日本大板橋病院(東京都板橋区)の主治医、森口正倫さん(53)に相談した。手元には、持参した兵庫県立粒子線治療センター(兵庫県たつの市)の資料があった。放射線の一種、陽子線や重粒子線を使い、ピンポイントでがん細胞の遺伝子を破壊する「粒子線治療」の施設だ。自分の病状が治療の対象になるのかどうかわからない。部分的に公的保険が使える先進医療の一つだが、治療費約300万円は自己負担。それでも、「たとえ家を売っても、命には代えられない」という思いだった。(4月27日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 26, 2013 07:35

治療に限りがある塞栓療法
しかし、それもつかの間の喜びだった。見えるがんをたたいても、また別の場所から再発する。いたちごっこになった。塞栓療法は治療に限りがある。繰り返しているうちに、血管が細くなって縮んでしまうからだ。今年2月、森口さんは16回目の治療を検討したが、残っている血管をこれ以上詰めると肝不全を起こすリスクがあると判断。中止を決めた。「やれることはすべてやろう」。森口さんと話し合い、がんの進行を抑える分子標的薬「ソラフェニブ」の服用も新たに始めた。頻繁に下痢に襲われる。副作用はつらいが、それでも効果を信じ、毎日飲み続ける。手術、塞栓療法、新薬・・・・・。いろいろな方法を試した。残された治療法はまだあるのか。(4月26日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 25, 2013 07:44

おびただしいがんは消えたが・・・
切除手術で入院した際は、妻の嘉子さん(69)に付き添ってもらった。でも、嘉子さんの血圧が高いのが気がかりだったので、今回は負担をかけないよう自宅に残した。代わりに朝昼晩と携帯電話で体調を伝えた。入院生活で知り合った都内の「がん友達」らが、しばしば煮物を持って見舞いに来てくれた。郷里を遠く離れ、治療を受ける身を案じてのことだ。病室は、いつもにぎやかだった。8月、5回目の塞栓療法で入院した。約半年前の血管造影で写っていたおびただしい数のがんが、ほぼ消えていた。森口さんは「効果が出ていますね」と言った。うれしかった。診療後すぐ、嘉子さんへ電話をかけた。「このまま治ってしまえばええなあ」。(4月26日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 24, 2013 07:14

血管塞ぐ治療も手詰まり
小さながんが肝臓の全体に散らばり、切除できない状態になった和歌山市の豊田富史さん(69)は、2011年1月から、「肝動脈塞栓療法」を受け始めた。太ももから管(カテーテル)を通し、がんの近くの肝動脈に抗がん剤を入れた後、ゼラチン粒を詰める。がん細胞に栄養と酸素を運ぶ血管を塞ぐことで、がんを兵糧攻めにして死滅させる治療だ。日本大板橋病院(東京都板橋区)の担当医、森口正倫さん(53)は、検査画像で見えるがんを、この方法で一つひとつたたいていった。約1週間の入院を毎月のように繰り返し、そのつど、再発がんをつぶした。(4月26日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 23, 2013 08:02

肝動脈塞栓療法
自身も甲状腺がんが見つかり、治療を受けたばかり。幸い手術で摘出できたが、夫の気持を思うと胸が潰れそうだった。「この状態では手術はできません。でも、別の治療法があります。そちらで頑張りましょう」。高山さんが選んだのは「肝動脈塞栓療法」。がんに栄養を送っている血管に、抗がん剤とゼラチン粒を入れる。抗がん剤でがんを攻撃しつつ、血管を詰まらせることで、その先のがんを死滅させる治療だ。「くよくよしても仕方ない。別の方法でもいいから早く、がんをたたいてもらおう」。がんとの闘いを諦めるつもりは毛頭なかった。(4月25日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 22, 2013 07:51

全肝多発
それから約1年後・・・・・・。CT検査で肝臓に1カ所、がんがまた見つかった。「3度目の手術」が検討された。「また先生に取ってもらえば大丈夫だろう」と思いながら入院した。ところが、がんは一つではなかった。血管造影をしてみると、肝臓に小さな影が20個以上点在していた。肝臓全体にがんが散らばっている「全肝多発」という状態だった。「お父さん、もうあかんかもしれん・・・・・・・」。今までの再発とは違う。妻の嘉子さん(69)は画像を目にして思った。(4月25日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 21, 2013 07:57

再発、手術、なのにまた
「がんは治ったんや」。2007年8月、早期の肝臓がんを手術で取った和歌山市の豊田富史さん(69)は順調に回復した。退院から数カ月後には、夫婦で食べ歩きや旅行にも出かけられるようになった。3カ月に一度、手術を受けた日本大板橋病院(東京都板橋区)まで検査に通い続けた。「今回も大丈夫ですよ」という安心の一言をもらうため。いわば、「お守り」のようなものだった。手術から2年5カ月たった10年2月。思いがけない検査結果が出た。肝臓に約1.5センチのがんが2個見つかった。「肝臓がんって、再発するのか・・・・・」。手術前の体重に戻り、がんを忘れるほど体調が良かった。それだけに動揺した。「きっちり決めた日に検査に来てくれるから見つかったんですよ」。主治医の高山忠利さん(57)の言葉が救いだった。まもなく2度目の手術を受け、がんは取り除かれた。(4月25日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 20, 2013 08:03

手術後、順調に回復
「この先生にすべてを任せよう」。人生で初めての手術だったが、覚悟が固まった。がんの大きさは3センチ。肝臓の右下のほうにあった。メスで肝臓を切り開きながら、細かい血管を1本づつ絹糸で縛る地道な作業を繰り返す。がんの部位を取り除き、手術は約4時間で終わった。家族控室でじりじりと待っていた妻の嘉子さん(69)は、手術室から出てきた高山さんに「ちゃんととれましたよ」と言われ、一気に力が抜けた。病室のベッドの脇には、「ヴィーナ」の写真。見るたびに「早く戻って散歩してやろう」と自分を励ました。点滴台を引っ張って院内を歩き、リハビリに努めた。回復は順調で、約2週間後に退院を迎えた。しばらくすると持病の腰痛が悪化して、長時間歩くことができなくなった。思い切って腰の手術を受けると、見違えるようにスタスタ歩けるようになった。食事も外出も、日常生活はこれまで通りに戻った。「がんは一度切ったらそれで終わり」。そのときはまだ、そう思っていた。(4月24日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 19, 2013 08:06

手術に備え4キロ減量
和歌山市の豊田富史さん(69)は2007年8月、日本大板橋病院(東京都板橋区)で肝臓がんと診断された。肝臓がんの患者に多いB型、C型肝炎ウイルスには感染しておらず、原因はわからなかったが、比較的早期の段階だった。「がん」と言われることは覚悟していた。それよりも「手術できる」という診断に、ようやくほっとした。ただ、消化器外科教授の高山忠利さん(57)に「脂肪が多いと手術が難しくなるので、2週間後の手術までに、最低3キロはやせてください」と告げられた。検査で「脂肪肝」であることが分かった。脂肪があると肝臓の組織がもろくなり、手術中に出血を起こしやすい、という。わかりやすい言葉での説明だった。「そういうことなら、自分でできることをやろう」と納得した。さっそく主食をキャベツに換え、約束の期限までに65キロあった体重を4キロ落とした。「明日は僕も頑張りますので、豊田さんも頑張ってくださいね」。手術前夜、病室に来た高山さんにこう声をかけられ、握手を交わした。(4月24日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 18, 2013 08:09

診療科たらい回しに焦り 2
「ひょっとして『がん』なんじゃないか」。自分でも思い始めていた。ならば一日も早く取ってしまいたい。それなのに、医師からは「2,3カ月おいても問題なし」とあしらわれた。治療はおろか、検査も進まない。いらだちが募った。ヴィーナがいつも以上にこちらの目をのぞき込む。下痢もするようになった。「この子も心配してくれるんやな」と申し訳なく思った。「早く手術ができるところにお願いしよう」。結婚して実家を離れていた2人の娘たちにも手伝ってもらい、日本大板橋病院(東京都板橋区)を見つけた。8月、すがる思いで病院の外来へ電話をすると、3日後の予約がすんなり取れた。特急や新幹線を乗り継いで片道5時間。慣れない大都会に行く負担は大きいが、「信頼できる先生に診てもらいたい」という一心だった。診察した消化器外科教授の高山忠利さん(57)は、検査画像を示しながら、落ち着いた声で言った。「肝臓のここ、3センチのがんがありますが、手術できますよ」。(4月23日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)
May 17, 2013 08:07

診療科たらい回しに焦り
「待て!」「よし!」。体の引き締まった黒のラブラドールレトリバーが、かけ声に合わせてきびきび動く。2007年5月。和歌山市の豊田富史さん(69)は「息子」の活躍に上機嫌だった。オスの「ヴィーナ」は当時5歳。京都であった家庭犬の訓練競技会に出場し、初めて1位を獲得した。消防士だった。定年の2年前に持病の腰痛が悪化して退職。その後は、愛犬を車に乗せて競技会を回るのが趣味だった。ヴィーナが初優勝した翌月、近所の診療所で成人病の検査を受けた。体調に不安はなかったが、妻の嘉子さん(69)が検査するというので、「自分もついでに」という気持だった。血液検査で肝機能が悪いことがわかり、翌週、超音波検査を受けた。医師は器具をおなかに当て、画像を見ながら言った。「肝臓にややこしい影がある」。MRIで調べると、肝臓に1カ所、腫瘍があった。「良性か悪性かは分からないが、精密検査を受けたほうがいい」。県内の総合病院を紹介され、すぐに向かった。ところが、診療科をたらい回しにされ、検査の日程すら決まらない。(4月23日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 肝臓がん より)

May 16, 2013 08:21

抗がん剤 再発予防にも 3
がんが胃壁深くに達したり、肝臓や肺など遠方への転移があったりすると進行がんと呼ばれるが、遠方の転移がない場合は、手術で患部と周囲のリンパ節を取り除き、術後に再発予防のため抗がん剤を使う。かつては有効な薬がなかったが、「TS1」という抗がん剤だと延命効果があることが2007年に報告され、ガイドラインでも推奨されることになった。TS1は飲み薬なので自宅で服用でき、副作用も比較的少ない。1年間続けて、以後は経過を見守り、5年間再発がなければ完治とみなされる。遠方に転移した段階になると、手術ができないことも多い。TS1と「シスプラチン」という抗がん剤の併用が基本になる。乳がん治療薬「ハーセプチン」が、ある種の胃がんに効くこともわかってきた。国立がん研究センター東病院の大津敦・臨床開発センター長は「欧米で胃がんが少ないこともあり、最先端の抗がん剤の開発は他のがんより遅れている。薬の組み合わせや手術前の使用など、研究の成果が待たれる」と話している。(4月21日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 15, 2013 08:02

抗がん剤 再発予防にも 2
日本胃癌学界のガイドラインは「リンパ節転移がなく、がんも小さい」などの条件を満たせば、口から内視鏡を入れて取ることを標準治療としている。腹部にあけた小さい切れ目から内視鏡と手術器具を入れる「腹腔鏡手術」も、開腹手術より患者の負担が小さいので、試みる医療機関が増えている。ただ、ガイドラインでは「日常診療として推奨されるには至っていない」とし、研究段階の治療法と位置付けている。(4月21日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 14, 2013 07:42

抗がん剤 再発予防にも
新たに胃がんが見つかる人は年間12万人強(2008年、国立がん研究センター推計)で、がんの中で一番多い。死亡者数も、肺がんに次ぐ約5万人(11年、人口動態統計)にのぼる。ただ、診断法の進歩で早期発見が増え、治療成績は上がってきた。「全体の半分は早期で見つかり、その95%は治る」。がん研有明病院の山口俊晴副院長(消化器外科)は言う。早期のがんは、胃の内側にできたがんが、下の筋肉にまで広がっていないものを指す。リンパ節への転移が比較的少なく、手術で切り取った後、抗がん剤治療は原則として不要だ。(4月21日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 13, 2013 07:52

「向き合う」ファイト湧く 3
薬を朝晩のみながら、通勤を再開した。昼食は小ぶりな愛妻弁当をゆっくり食べる。午前午後に自席でパンやビスケットなどの軽食をはさむ。仕事がらみの会食は、辞退したいと周囲に伝えた。薬を始めて4週目、少し副作用が出てきた。食欲がなく、無理をしたら吐きそうな感じだ。服用を2週間休み、また4週間。この繰り返しを1年続ける。先の結果は分からない。しかし「病気に向き合うということは、大きな責任ある仕事を決めていくプロセスと同じだ」と思うと、ファイトが沸く。4月で、社内の重い役職を離れた。できた時間でジム通いを再開したいし、落語の寄席にも行きたい。がんを完全に忘れた生活には、もう戻れないだろう。闘病日誌は、表紙に「1」と番号が振ってある。2も3も、その先も書く覚悟だ。(4月20日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 12, 2013 07:23

「向き合う」ファイト湧く 2
がんの深さと転移とで判定する進行度は「ステージⅡB」。早期がんではないが、進行がんの中では軽い段階だ。山口さんは「医学会の治療方針に沿えば、1年間の抗がん剤治療が望ましい。5年後の生存率が高くなるので、やった方が無難かと思います」と告げた。抗がん剤と聞いて、十数年前に親類をがんで亡くしたときの、副作用に苦しむ様子が記憶によみがえった。しかし、いま使われている「TS1」という内服薬は、入院の必要がないし副作用も少ないという説明だった。それなら仕事にも差し障りない、と同意した。(4月20日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 11, 2013 08:17

「向き合う」ファイト湧く
手術を1月に終え、退院後初の診察は2月14日。東京都内の会社役員の男性(65)は、がん研有明病院の主治医の山口俊晴さん(64)に、切除した胃の写真を見せてもらった。がんは直径約3センチ。胃袋の内側の粘膜から筋肉の層へと根を下ろし、外側表面に近い膜にまで達していた。「皮一枚で中にとどまっていた」と山口さん。場所が胃の入り口に近く、手術で取ると、胃酸が食道に逆流するのを防ぐ機能が失われる。胃の下半分を残すと、かえってつらい症状に苦しむことになるため、全摘となった。腹部から摘出したリンパ節55個のうち、2個からがん細胞が見つかった。そう多くはないものの、転移はしていた。(4月20日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 10, 2013 07:55

胃全摘の翌月 酒飲めた
自宅に戻り、その日から外の散歩を始めた。まずは妻の買い物に同行して、近所のスーパーまで。次の日も自宅の周辺を歩いた。下痢が続いていたので、使えるトイレがある場所を頭の中で確認しながら、元の生活を取り戻すためにと一歩づつを踏みしめた。体を動かしても、以前の空腹感は戻ってこない。体力を維持するために、義務感で食べた。手術から1カ月たった2月11日、お祝いに大吟醸を試してみた。小さなおちょこに1杯。翌日は妻に「もうちょっと大きめのおちょこあったよね」とリクエストして、今度は2杯。手術は成功した。でも、まだ完治とは言えない。抗がん剤の治療が待っていた。(4月19日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 09, 2013 08:31

胃全摘の翌月 退院
術後11日目の1月22日、がん研有明病院を退院。傷口の痛みはもうないが、おなか周りが10センチ縮んで、心細い感じがする。ジム通いで鍛えた筋肉も、すっかり落ちていた。病院の管理栄養士による指導には、妻(65)に同席してもらった。「消化が悪いものを避け、ゆっくり食べること」。一度の食事を少量にして回数を増やす。そうでないと食べた物が逆流してしまう。縫い合わせた消化管は数カ月むくんで狭くなっているので、食後30分は安静にする・・・。チェックリストは15項目あった。
May 08, 2013 08:01

胃全摘後
胃を全て摘出する手術を受けた翌朝、水を飲むように言われて、東京都内の会社役員の男性(65)は戸惑った。傷口から漏れることはないのだろうか。ほんの少し飲み込んで、脇腹から伸びるドレーン管を見た。手術後に腹の中の体液を出すため、しばらくつけているチューブ。漏れていないか確認したのだが、それを見た看護師は、大丈夫ですよと笑った。術後3日目くらいから、たんがからむようになった。腹の空洞に響くような痛みで、うまくせきができず、息をするたび胸がぜーぜーと鳴り、ひどく苦しい。術前の呼吸訓練の意味を、このときに痛感した。食事は徐々におかゆの粒が形になってきた。尿の管、次にドレーン管を抜き、真っ黒な便が出て、抜糸の日がきた。入院中の出来事は、標準的な日程表を事前に渡されていた。先が見えるのが心強かった。(4月19日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 07, 2013 08:46

手術が終わって
翌朝6時。病室の電灯がつき、看護師が「歯磨きに行きましょう」と、体中に貼り付けられた管やコードをベッドの片側に寄せ始めた。電動ベッドの背中を起こし、ゆっくり足を床におろされる。スリッパをはき、おなかを抱えながら立ち上がり、一歩を踏み出す。傷は痛くない。回復を早めるために、なるべく歩いてと促される。ほどなく水を1杯出された。「傷口から漏れることって、ないですか」。口をつける前に看護師に尋ねた。(4月18日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 06, 2013 07:53

手術「マラソンみたい」
手術台は、幅がえらく狭く見えた。枕元の麻酔科の医師が、背骨の中心を包む「硬膜」の外側に麻酔薬を注入する、と説明した。口にマスクを当てられ、意識が遠のいた。看護師に揺り起こされて目を開けると、「パパ、わかる?」とのぞき込む妻の顔が見えた。全身がへとへとで、「フルマラソンを走ったみたいだ」と口からこぼれた。4時間の手術だったと妻が教えてくれた。執刀医の山口さんが「無事終わりましたよ」と声をかけてくれたが、もうろうとして、会話はよく覚えていない。ただ、血液が固まらないようにマッサージする装置が、筋肉質の足首にはきつすぎた。苦しくて一晩中眠れなかった。(4月18日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 05, 2013 08:06

検査の結果、手術
昨年末に胃がんと告知さtrた東京都内の会社役員男性(65)は1月3日、がん研有明病院の主治医・山口俊晴さんから電話をもらった。「検査の結果、がんが胃の入り口のところにある。胃を全部摘出することになる可能性が大です」。近くのリンパ節も腫れているという。すでに腹は決めていた。「先生の思う通りにお願いします」。電話を持ったまま頭を下げた。手術は11日と決まった。9日に入院。胃の手術なのに、まず呼吸の練習をするという。プラスチックの器具を口にくわえ、息を吸い続ける。全身麻酔の後は肺の機能が落ちるため、訓練するのだと説明された。病室で好きな落語とジャズを聴きながら、黙々と繰り返した。当日。妻(65)と長女(37)と、手術室の控室前で別れた。海外駐在員時代の習慣で、軽く抱き合い「行ってきます」と告げた。(4月18日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 04, 2013 08:42

がん研有明病院で検査
採血や心電図、転移の有無を調べるCT検査を受けた。食事をしてしまったため、胃カメラは1週間後。結果と今後の方針は、年明けに電話で知らせてもらうことになった。年末年始は、「強いお酒でなければ飲んでも構わない」と山口さんに言われた。海外から帰国した長女(37)を交え、初詣や墓参りをして過ごした。運動は積極的にと勧められたので、学生時代から続けてきた毎日5~10キロのジョギングをと思ったが、妻は反対した。「汗をかいて風邪をひかれたら困ります。体調万全で入院させるのが私の仕事です」。心遣いが、ありがたかった。代わりに1日3時間づつ歩いた。1月3日の午後、電話が鳴った。病院からだった。(4月17日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 03, 2013 08:04

がん研有明病院受診
翌12月20日朝、がん研有明病院。広い待合室で妻(65)と2人、「こんなに患者さんが多いんだね」と、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら待った。昼近くにサンドイッチを買って食べたが、味はしなかった。診察室に呼ばれた。副院長で消化器センター長の山口俊晴さん(64)がいた。紹介状と検診施設の検査結果を渡すと、「胃の上部にがんがあるようですね」。検査をやり直してチームで治療方針を立てる、と説明した山口さんは、最後にこう付け加えた。「仕事は続けて下さい。通常の生活に戻ることが治療の目的ですから」。(4月17日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 02, 2013 08:37

入院控え 会社でも準備
昨年12月の定期検診で胃がんが見つかり、海外出張先で連絡を受けた東京都の会社役員の男性(65)は、帰国してすぐに入院の準備に取りかかった。まず社長に事情を報告。次に会社の産業医にアドバイスを求めた。「胃がんの手術症例が多いのは、がん研有明病院(東京)です」と聞き、紹介状を書いてもらった。大きな病気も手術も初めてだった。どれだけ入院することになるのか見当もつかない。病院に行く前に1日空けて、会社で引継ぎを済ませた。取引先にも足を運び、電子メールを書いた。夕刻、社内の電子掲示板に「病気療養のため当分休む」と業務連絡が流れた。部下を会議室に集めて言った。「病気というのは胃がんだ。言いふらす必要はないが、聞かれたら言ってくれてもいい」。(4月17日 朝日新聞 患者を生きる 消化器 胃がん より)
May 01, 2013 08:12


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