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中皮腫 待ち遠しい新薬 3
アスベストは、天然の繊維状の鉱物で、建物の耐火材や断熱材に使われた。1本の太さは毛髪の約5千分の1。空気中に漂いやすく、吸い込むと中皮腫や肺がんなどを引き起こす。輸入量のピークは1974年の35万トン。日本では2006年に製造・使用が全面禁止された。中皮腫は胸膜や腹膜などにできるがん。中でも胸膜中皮腫が大半を占め、ほとんどはアスベストの吸引が原因で起きる。潜伏期間は30~40年と言われている。(2月17日 朝日新聞)
Feb 28, 2015 08:41

中皮腫 待ち遠しい新薬 2
兵庫県の女性(73)は昨年10月、兵庫医大病院で胸膜中皮腫と診断された。腫瘍が肺を包む胸膜のあちこちにあったが、肺には広がっておらず、ステージは1期だった。「アスベストを吸った記憶もない。『まさか自分が』とショックだった」と振り返る。抗がん剤のシスプラチンとアリムタを併用する治療を、約4カ月間続けた。ほとんどの腫瘍が小さくなった。今後、胸膜を取り除く手術を受ける予定だ。(2月17日 朝日新聞)
Feb 27, 2015 08:19

中皮腫 待ち遠しい新薬
アスベスト(石綿)が原因で起こるがんの一種「胸膜中皮腫」は、治療が難しい。抗がん剤治療や放射線治療は効果が限られている。早期に発見できれば手術が可能だが、なかなか早い段階で見つけられない。患者はさらに増えることが予想され、新しい薬の開発が待たれている。(2月17日 朝日新聞)
Feb 26, 2015 08:28

GIST(ジスト)と標準治療
GISTは消化管間質腫瘍の略。胃がんや大腸がんなどが粘膜層の細胞異常で発生するのに対し、粘膜層の下にある筋肉層の細胞から発生する肉腫の一種。臨床試験を経て科学的に効果が証明され、専門の学会などが推奨する「標準治療」は、可能ならば手術で切除し、再発などのリスクが高いと判断されれば、抗がん剤グリベック(2003年承認)を飲む。切除不能な場合や再発・転移があれば、グリベックのほか、スーテント(2008年承認)、スチバーガ(2013年承認)の3種類の抗がん剤を使って治療する。10万人に2人程度が発症すると推定される。抗がん剤には延命効果があるが、抗がん剤での完治は難しいとされる。(2月17日 朝日新聞)
Feb 25, 2015 08:24

最期まで全力疾走 6
グリベックの処方や定期検査は銚子の病院で受けながら、東病院にも3カ月に1回通った。薬があるありがたみを、雄二さんは土井さんの診察を通して実感したようだった。「頼むよ、グリベック」。そう語りかけて飲むようになった。2006年9月、交流サイト上のGIST患者や家族が患者会「GISTERS」を結成した。公恵さんは、結成の場に、足を運んだ。使える薬が増えて欲しい。願いを込めて、署名を集めた。雄二さんに新たな転移が見つかったのは、それから約1年後のおとだった。(2月17日 朝日新聞 患者を生きる より)
Feb 24, 2015 08:15

最期まで全力疾走 5
車で2時間半。柏にやってきた夫婦を待っていたのは、「治験対象外」という結末だった。この治験の対象は、グリベックが効かなくなった患者だった。「今は効いているので、グリベックを飲んでください」。消化管内科医の土井俊彦さん(51)は雄二さんに伝えた後、こう続けた。「銚子で受診しながら、うちにも定期的に通ってはどうですか」。いずれ、グリベックが効かなくなる可能性がある。そのとき、東病院で治験が実施されていれば、スムーズに参加できるだろう。(2月17日 朝日新聞 患者を生きる より)
Feb 23, 2015 08:25

最期まで全力疾走 4
公恵さんはインターネットで、GISTの患者が情報交換する交流サイトに参加した。グリベックを飲み始めて1年余り過ぎた2005年12月。交流サイトに、GISTの患者を対象にした「治験」の参加者を募る製薬企業の情報が載った。治験は、新しい薬を人に使って安全性や有効性を確認する臨床試験のうち、国の承認を目指して法律に基づき行うものだ。「これだ!」。雄二さんは飛びついた。グリベックを飲んでから、吐き気に悩まされていた。「違う薬を試してみたい」と思った。銚子市立総合病院の医師は、治験を実施する千葉県柏市の国立がんセンター東病院(当時)に紹介状を書いてくれた。(2月17日 朝日新聞 患者を生きる より)
Feb 22, 2015 09:19

最期まで全力疾走 3
GISTの治療は長らく、腫瘍を切るのが唯一の方法だった。だがこの前年の2003年、白血病に使われていた抗がん剤の「グリベック」が、GISTの患者向けとしては国内で始めて、承認された。再発や転移のある患者への延命効果が確認されていた。雄二さんは手術後間もない2004年8月、グリベックを飲み始めることになった。肝臓に転移が見つかったためだ。副作用の吐き気に苦しむこともあったが、仕事や生活は何とかこなした。医師からは、平均2年半くらいは効く、と説明された。「次の薬はないのかな」。公恵さんは思ったが、薬が効いていたこともあり、夫婦で先のことを話すことはなかった。(2月17日 朝日新聞 患者を生きる より)
Feb 21, 2015 08:26

最期まで全力疾走 2
雄二さんは38歳だった2004年6月、激しい腹痛に見舞われ、銚子市立総合病院(当時)で検査を受けた。CTを撮ると、おなかに大きなかたまりが写った。「おそらくGISTでしょう」。過去に別の病院で診た経験があった外科医はそう、推測した。夫婦には、初めて聞く病名だった。GISTは消化器にできる、患者数が少ない、希少がん。腫瘍は小腸にあり、すぐに手術で切除した。20センチ以上の大きさで、進行していた。再発や転移のリスクが高いタイプだった。(2月17日 朝日新聞 患者を生きる より)
Feb 20, 2015 08:25

最期まで全力疾走
「お父ちゃんは、最期まで全力疾走だった」。千葉県銚子市の食品卸会社社長、桜井公恵さん(47)は、夫雄二さんの6年余りの闘病をそう振り返る。2010年8月、44歳で亡くなった雄二さんは、公恵さんと長女誉子さん(18)、長男誠大さん(16)に宛てて手紙を残していた。誠大さんには、A4に2枚。びっしりと文字がしたためられていた。(中略)陽気でよくしゃべる人だった。公恵さんと結婚して、桜井家が営む食品卸会社で一緒に働いた。効果が科学的に確認されている「標準治療」が終わっても新たな治療法がないか調べ、医師に相談して治療を続けた。完治が難しい中、厳しい選択の連続だった。公恵さんは今、思う。「手紙のこの部分は、治療に臨んだお父ちゃんの姿勢そのものだ」。(2月17日 朝日新聞
患者を生きる より)
Feb 19, 2015 08:20

専門医 割れる意見 2
どういう場合に効果が期待できるのかある程度見極めた上で、臨床研究で証明しなければばらないという。日本胃癌学界では岐阜大が中心になって、全国の症例を集めている。国立がん研究センター中央病院の朴成和消化管内科長は「いい結果が出たとの症例はあるが、それだけではエビデンス(根拠)にならない。エビデンスに基づく治療は、現在のベストであるが、やるべき最低限のものだ。新たな治療法を作っていくには、エビデンスを超えた試みも必要になる。そのためには、科学的な妥当性と患者への十分な説明が求められる」と指摘する。(2月10日 朝日新聞)
Feb 18, 2015 08:20

専門医 割れる意見
化学療法から手術への転換は、大腸から肝臓に転移したがんを切除できない場合などで実施されてきた。大腸がんの治療ガイドラインは、化学療法が効いて切除可能となったら手術の検討を勧めている。だが、胃がんでは本当に効果があるのか。手術による不利益はないのか、などはまだ確かめられていない。専門医の間でも意見が分かれている。広島市民病院副院長の二宮さんは「外科の中には『化学療法で効果が出ているのに、あえて手術する必要はあるのか』という反対意見もあった」と話す。(2月10日 朝日新聞)
Feb 17, 2015 08:27

抗がん剤⇒手術 胃でも 3
国内では胃がんの約65%が1期に見つかっている。だが、遠隔への転移などがある4期になると、完全に取りきるのは難しい。その場合、手術をせずに化学療法を続けるのが標準的だ。最初の抗がん剤が効かなくなったら別の種類に変更していく。手術ができなくて始めた化学療法がよく効き、治療を手術に変えることを「コンバージョンセラピー」と呼ぶ。コンバージョンの意味は「転換」だ。手術することを前提に、状態を少しでもよくしようと、先に抗がん剤でがんをたたく「術前化学療法」とは異なる。広島市民病院では、これまで60人の患者に試みたという。(2月10日 朝日新聞)
Feb 16, 2015 08:21

抗がん剤⇒手術 胃でも 2
手術では胃の3分の2を切除した。自宅でふだんに近い生活ができた。しかし、2年半後に膵臓で、さらに1年後に肝臓で再発が見つかり、それぞれ放射線療法と、化学療法を組み合わせて治療した。化学療法をやめてから現在まで2年以上再発はない。胃がんは早く見つけて手術で取り除くことができれば、治りやすいとされる。(2月10日 朝日新聞)
Feb 15, 2015 08:24

抗がん剤⇒手術 胃でも
一方、副作用も強く、全身に倦怠感が出て、起き上がれなくなったり、ふらついて転んでけがをしたりした。半年後にはこれ以上、化学療法を続けるのが体力的に厳しくなった。主治医の二宮基樹副院長(消化器外科)に、抗がん剤をやめて手術への切り替えを打診された。抗がん剤はいずれ効かなくなると聞いていた。「手術でがんを取れる可能性がある」と言われ、決断した。(2月10日 朝日新聞)
Feb 14, 2015 08:57

化学療法が効いて転換 2
広島市民病院で、食事をとりやすくする補助的な手術を受けた。開腹した際、がんは膵臓まで広がり、周囲のリンパ節にも転移しており、切除は不可能と診断された。男性は「セカンドオピニオンを聞いたが、なぐさめられただけだった。3カ月か半年の命だと思っていました」と振り返る。手術後は2種類の抗がん剤を使う標準的な化学療法を続けた。がんが小さくなり、薬が非常によく効いていた。(2月10日 朝日新聞)
Feb 13, 2015 08:28

化学療法が効いて転換
手術ができないほど進行した胃がんは、抗がん剤治療をするのが一般的だ。抗がん剤がよく効いた患者に、さらなる状態の改善を目指して手術に切り替える方法が研究されている。しかし、効果はまだ確かめられておらず、手探りが続いている。広島県の男性(55)は8年前、胃がんと診断された。進行した状態の4期とみられた。診断の2年ほど前から食欲不振などの症状があり、1年前からは腹痛もひどくなっていた。不安はあったが、診断を受けるのを避けていたという。(2月10日 朝日新聞)
Feb 12, 2015 08:39

外出先のトイレ整備途上 4
ただ、障害や病気を持った人の旅を支援するNPO法人(ジャパン・トラベルボランティア・ネットワーク)のおそどまさこ代表は「大都市ではだいぶ増えたが、地方ではまだまだ見つけるのが大変という場所もある」と指摘する。ストーマの人が旅先で対応するトイレを見つけられるようにと、同法人は全国的にインターネットで地図化する試みを準備し始めている。「障害などに縛られず、誰もが旅を楽しむ権利がある」とおそどさん。こうした人たちの旅を支援する旅行介助ガイドを認定し、要望を受けて有料で派遣している。サイト(http://www.tabicommon.com/)に詳しい情報がある。(1月25日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 11, 2015 08:38

外出先のトイレ整備途上 3
トラブルなどに対応する専門の「ストーマ外来」も全国に600カ所以上整備された。日本創傷・オストミー・失禁管理学会のサイト(http://etwoc.org/stoma.html)から、外来を持つ全国の医療機関を検索できる。ストーマの人が使いやすいトイレは、装具を交換したり、ストーマの周囲を洗浄したりする必要があるとして、協会が整備を働きかけてきた。下腹部にストーマがある人が、パウチにたまった便を立ったままで流せる「汚物流し」のついたトイレも増えてきている。(1月25日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)

Feb 10, 2015 08:41

外出先のトイレ整備途上 2
日本オストミー協会の和田透・前会長(80)は「ストーマの装具が使いやすくなり、対応するトイレの整備が進んできたことで、生活の質(QOL)がよくなった」と指摘する。自身も、ストーマになって40年近くになる。ストーマからパウチが外れると便が漏れ、においや皮膚のかゆみなどを招く。だが、最近はパウチの接着面が皮膚になじみやすくなり、動いても外れにくくなった。(1月25日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 09, 2015 08:30

外出先のトイレ整備途上
厚生労働省によると、人工肛門(ストーマ)の人は全国に約19万人いる。ストーマは、大腸がんなどの手術後につくる、人工的な便の出口。便は自然に出てくるので、パウチと呼ばれる袋にためておき、定期的にトイレに流す。連載で紹介した二宮盛さん(74)が繰り返し旅しているように、ストーマの人の多くは、入浴やスポーツなどを楽しみ、手術前と変らない生活を送っている。(1月25日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 08, 2015 09:21

抱え込まず仲間に伝える 3
がんの治療中で体力に少し不安はある。だが、主治医で消化管内科医長の山田康秀さん(52)は「スケジュールをゆったりとり、過労につながらないように気をつければ、いまのところ大きな心配はない」と話す。二宮さんは「旅を楽しむには、自分だけで問題を抱え込まないことが大切」という。ストーマをつけていることは、一緒に旅する仲間には必ず伝える。ストーマの人が使う障害者用トイレなどは数が少なく、込み合うことも多い。このため、トイレ休憩に時間がかかりがちになることも理解してもらう必要がある。「旅に出て自然の美しさに触れることは、生きがいの一つ。旅のない人生は考えられません」。6月、秋田の駒ケ岳に友人たちと登る予定だ。長い冬を越え、高山植物が咲き始める。その光景を目にするのが今から楽しみだ。(1月24日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 07, 2015 09:07

抱え込まず仲間に伝える 2
好きな旅も続けている。昨年5月、家族で京都を訪れた。桜が終わり、新緑のころ。トロッコ列車に乗り、春の空気に胸を躍らせた。10月には、山梨の奈良田温泉で「生涯、最高の湯」に出会った。12月、南アルプスの入笠山で雪を見た。輪かんじきを履いて山を上る友人の帰りを、ふもとで絵を描きながら待った。(1月24日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 06, 2015 08:31

考え込まず仲間に伝える
人工肛門(ストーマ)の性能がよくなり、神奈川県平塚市の二宮盛さん(74)は温泉旅行も楽しめるようになった。2009年7月、直腸がんと診断され、2011年5月には右大腿部の付け根、鼠径部のリンパ節にがんが見つかった。そして昨年1月、肺への転移がわかった。抗がん剤のゼローダを、朝食と夕食の後に飲んでいる。2週間のみ続け、次の1週間は休む。これを繰り返す。手足の指先が荒れる副作用などが少し出るが、多きな問題はない。3週間に1度は、東京・築地の国立がん研究センター中央病院に通い、抗がん剤アバスチンを点滴してもらっている。高血圧の副作用があり、降圧薬もあわせてのんでいる。2~3カ月に1度はCTで腫瘍の大きさを確認しているが、縮小した後、その状態を維持している。数カ月に1度、ストーマ外来で、ストーマや皮膚の状態などをみてもらっている。(1月24日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 05, 2015 08:40

療養宿 患者同士語らい 2
ストーマは人工的につくられた便の出口。便は意志とは関係なく自然に排泄される。このため、パウチと呼ばれる袋に便をためておき、定期的にトイレに流す。外出の際は、オアウチから便が漏れることが最大の不安だった。ストーマになってまもなくの箱根旅行。旅館に1泊後、美術館を巡っていたとき、においが気になってトイレに駆け込んだら、パウチが外れかかっていた。「俺、帰る」。どうしていいか分からず、旅を途中で切り上げ、仲間の車で自宅まで送ってもらった。だが、いまはストーマとパウチの接着がよくなり、外れたり便が漏れたりする心配はほとんどなくなった。手術から約5カ月が過ぎた2011年10月、二宮さんは新幹線に乗り、1人で秋田の乳頭温泉に旅立った。選んだ宿は、がん患者が多く泊まる「療養宿」。宿泊していた患者同士で、この先の不安や希望を話す機会が持てた。「(がん患者として)闘う勇気がわいてきた」。1泊2日の旅の最後、日記にそう記した。(1月23日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 03, 2015 08:31

療養宿 患者同士語らい
2011年5月、神奈川県平塚市の二宮盛さん(74)は、右大腿部の付け根、鼠径部のリンパ節に新たながんが見つかった。2009年、直腸がんの手術後に人工肛門(ストーマ)をつくってから、2年がたとうとしていた。残念ではあったが、事実を淡々と受け入れた。最初のがんのときは、がんに関する知識がなく、死は免れないと思っていた。でも、治療を受けながら、必ずしもそうではないと知った。放置すれば問題だが、きちんと見つけて治療することが大切だ。そう考えられるようになっていた。手術を受けるために約3週間、東京・築地の国立がん研究センター中央病院に入院した。入院中は体力を落としたくないと、病棟の廊下を積極的に歩くなどして過ごした。大学時代、旅サークルに入っていた。ストーマになってからも積極的に旅を続けていた。病気とストーマのことを理解してくれる、一緒に旅する仲間の存在に加え、ストーマの装具の性能が徐々によくなってきたことも、大きな支えになっていた。(1月23日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 02, 2015 08:38

手術後の2泊旅行で自信 2
それでも、早い時期から大好きな旅をすることができたのは、仲間たちがいたからだ。手術をした東京・築地の国立がん研究センター中央病院を退院して1カ月もたたないころ、大学時代の旅サークルの仲間たちが、山形への2泊旅行に誘ってくれた。「パウチが外れたらどうしよう」。「途中で気持がわるくなったら?」。不安が先に立ったが、房子さんは「そんな事を言っていたら、何もできない」と後押ししてくれた。仲間たちに相談すると、「大丈夫だから一緒に行こうよ」と言ってくれた。事前にパウチの中の便もトイレに流して空にし、温泉にも入った。体力はまだ回復していなかった。山の上にある寺院を巡るときは、ほもとで待つまど、体力と相談しながらの旅だったが、旅に出かけることができたという事実は、自信につながった。そんな二宮さんに、新たながんがみつかったのは、2年後の2011年5月のことだった。(1月22日 朝日新聞 患者を生きる ストーマ より)
Feb 01, 2015 09:18


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