2009年夏から3カ月、東京都の女性(61)は聖路加国際病院(東京都中央区)に通院しながら、左胸の乳がんの抗がん剤治療を受けた。がんの広がり具合から左乳房は全摘することになり、乳房を再び作る「再建」をするかどうか迷っていた。当時55歳。年齢とともに自然に下がっていく右胸と、人工乳房を入れた左胸のバランスは、年々不自然になっていくのではないか。下着を通して女性の美しさにこだわってきた下着パタンナーの仕事柄、気になった。体の中に異物を入れることにも抵抗感があった。Dカップの乳房は経験上、片方約500~600グラムの重さがある。どちらかを摘出すれば、左右の肩のバランスが偏るのではないかと感じた。再建したほうがジムや温泉に気軽に行けると聞き、人工乳房による再建を決めた。10月中旬、約2時間半の全摘手術を受けた。同時に、乳房の再建に向けて、「エキスパンダー」と呼ばれるシリコーン性の袋を入れた。この袋に生理食塩水を入れて膨らませ、約半年かけて胸の皮膚をのばした後、手術で人工乳房と入れ替える。左胸の全摘は、「仕方がない」と覚悟していた。だが、手術から2日目、ガーゼの交換で初めて術後の左胸を見た時はショックだった。エキスパンダーを入れた分、胸に多少の膨らみはあるが、豊かだった胸は跡形もない。生々しい傷痕、乳輪も乳頭もなく、「まるでのっぺらぼうみたい」。乳輪・乳頭は、皮膚を移植して再建する手術があるが、「これ以上、体にメスを入れたくない」と、入れ墨をする方法を選んだ。退院後まもなく、左わきの下のリンパ節2カ所への転移がわかった。がんの病期は0~4の5段階で「ステージ3」になった。再発の不安を抱える生活が始まり、がんを告知された時よりも落ち込んだ。その翌日、夫に誘われて箱根に紅葉狩りに出かけた。晴れ渡る空に、富士山も見えた。「60歳になったら仕事をやめて、日本全国を車で回ろう」。お互い病気のことはほとんど口にしなかった。こうして気分転換をしながら、現実と向き合っていくしかないのだと思った。(7月23日 朝日新聞 患者を生きる 乳房の切除より)