2010年に肺がんの転移が見つかった神奈川県の主婦渡辺久子さん(68)は、腫瘍を小さくする効果がある新薬の臨床試験(治験)に参加することにした。渡辺さんのがんは、がん細胞が増殖する時に必要な「EGFR]と呼ばれる遺伝子に変異があるタイプだった。当時、分子標的薬の「ゲフィチニブ(販売名イレッサ)」か「エルロチニブ」を服用するのが標準的な治療だった。新薬の「アフィチニブ」はさらに効果があると期待され、従来の抗がん剤による治療と比べて有効性を確かめる段階の試験だった。3月に神奈川県立循環器呼吸器病センター(横浜市)に入院した。渡辺さんは新薬を飲むことに決まった。毎朝、薬を1錠飲んだ。「薬を飲むだけで、3週間も入院なんて」。当初、そう感じたが、3日目から下痢の副作用が始まった。1日、4、5回ある。48キロあった体重が、3週間で43キロに落ちた。さらに、口内炎や口のはしが切れる口角炎にも悩まされ、塗り薬をこまめに塗るよう心がけた。皮膚の乾燥も激しく、「まるで白い粉をふいたようだった」。4月上旬に退院すると、全身ににきびのような湿疹ができるようになった。分子標的薬の典型的な副作用だった。強いかゆみを伴い、うみのような水が出た。渡辺さんは当初、かゆみが強いのに、「体調はいい」と回答することもあった。「副作用がひどいと、治療が中止されてしまうのでは」。そんな思いからだった。頼りになったのが治験コーディネーターの山根未来さん(33)だった。医師と患者の間に立って、治験に参加する患者に薬について説明し、相談に乗る役割を担う。主治医の加藤晃史さん(50)が診察する前に、山根さんが必ず面談した。「湿疹のかゆみはどのくらいつらいか」。詳しく聞いた。「かゆみで眠れないほど」。医師に言いづらいことも、山根さんには打ち明けられた。渡辺さんは「湿疹が出るとは聞いてはいたものの、あれほどひどくなるとは思っていなかった」。加藤さんも、渡辺さんの湿疹が予想以上にひどいことに驚いた。「これほどつらい思いをさせて治験を続けていいのか」。加藤さんは迷うようになった。(8月6日 朝日新聞 患者を生きる 副作用と向き合うより)