「胸腺腫」の疑いと診断された秋田県湯沢市の元小学校教諭、近藤セツ子さん(60)は2008年5月中旬、平鹿総合病院(秋田県横手市)で手術を受けた。胸腔鏡を補助的に使った手術で、摘出された腫瘍は直径約6センチだった。胸腺を覆う幕の外にも腫瘍が広がる「浸潤」が見られ、進行度を示すステージは2。再発防止の放射線治療を受けることになった。胸部への放射線治療は週5日。胸のあたりの皮膚が副作用で、軽いやけど状態になった。食べたり飲んだりしても、食道や胃がしみるように痛む気がした。でも、約4週間後の治療後は、「もうこれでおしまい。治ってよかった」とうれしかった。8月には教壇に復帰した。だが、11月のCT検査で医師に「あやしいものがある」と告げられた。「再発かもしれない」という医師の言葉に、強いショックを受けた。手術からわずか半年。「あの手術や放射線治療は、いったい何だったんだろう・・・・」。結局。3カ月後に再び受けたCT検査で、再発でなにと診断されtが、その後も半年に1回ほどのペースで検査を受け続けた。「再発の疑いがある」。再び、そう告げられたのは、手術から約2年後の2010年6月だった。PET-CT画像で見ると、胸の周囲の何カ所かが赤く写っているのがわかった。肺と胸壁を包む胸膜に、がん細胞が散らばる「播種」という状態になっていた。画像でまざまざと見せ付けられ、「ああ、ついに来たか」と妙に納得した。腰椎への「骨転移」の可能性も指摘された。少し前から腰痛が気になっていたが、そのせいだったのか、とふに落ちた。7月に確定診断を兼ねた2回目の手術を受け、一部の腫瘍は切除し、手術後に抗がん剤治療を受けた。副作用で、吐き気や食欲不振、体のだるさに苦しんだ。髪は抜け落ち、頭皮もヒリヒリと痛んだ。タオルやガーゼでできた帽子をかぶった。腰椎への放射線治療で、腰の痛みはなくなった。しかし、抗がん剤の胸膜の播種への治療効果はほとんど見られなかった。「あんなに副作用に耐えて治療したのに。何のためにがんばったんだろう」。頭を抱えた。(11月4日 朝日新聞 患者を生きる 胸腺腫より)