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「今も一緒」 志引き継ぐ
肺カルチノイドの治療を続けていた流通ジャーナリストの金子哲雄さんは2012年8月、呼吸困難で一時危篤状態になり、「死期が近づいている」と悟った。そして、自分の人生や闘病の経緯を一冊の本にまとめる作業を始めた。この頃には、体力も限界に近づいていた。自分の足で歩くことはできなくなり、キャスター付きのいすに座り、妻の稚子さん(48)に押してもらって部屋を移動した。そんな状態でも、雑誌社やテレビ局からの電話取材を受け続けた。9月下旬、死後に発売されることになる闘病記「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」の原稿を書き終えた。「自分は最後まで、自分に正直に生きてきた。濃い人生だった。そのことを、誇りに思う」と原稿につづった。「ここにいて!」。10月1日早朝、稚子さんは哲雄さんの切羽詰った声を聞いた。そのとき、「今日が最後かもしれない」と感じ、涙で肩をふるわせ、横で見守った。「稚ちゃん、泣いちゃだめだよ。死んでも僕が守るから」。翌2日の午前1時過ぎ。穏やかな表情で旅立った。「ありがとう、お疲れ様」。稚子さんはそっと声をかけた。自ら準備した通りに、5日、浄土宗心光院(東京都港区)で葬儀・告別式が行われた。「41年間、お世話になり、ありがとうございました」生前に本人が準備していた会葬礼状が、参列者に配られた。闘病記は11月下旬に刊行された。「終活」がこの年の流行語トップ10に選ばれ、哲雄さんらが受賞者となった。哲雄さんは普段から人とのつながりや仕事を大切にして生き、同じように、死に対しても真摯に向き合った。「死ぬことと、生きることは同じ」。哲雄さんが残した言葉は、激しい喪失感と悲しみに襲われた稚子さんにとって、心の支えになった。哲雄さんから「引継ぎ」を受けた宿題をやらないと・・・。そう感じた稚子さんは、死に直面した患者らの心の痛みに寄り添う活動を2013年8月から始めた。「今も一緒に、生きている」。全国各地を講演で回りながら、稚子さんはそう感じている。(11月20日 朝日新聞 患者を生きる 金子哲雄の旅立ちより)
Jan 27, 2016 09:37

最大級の寒波襲来
1月24日、最大級の寒波が西日本を襲った。この日の福岡の最低気温は-4度、最高気温は氷点下1度だった。写真は福岡市南区の野間大池公園。2016yuki.jpg
Jan 24, 2016 13:50

迫る最期 死後の準備
流通ジャーナリストの金子哲雄さんは2011年6月に肺がんの一種「肺カルチノイド」の末期と診断されてからも、雑誌の執筆だけでなく、テレビやラジオの出演にも精力的に散り組んでいた。肺にできた腫瘍のまわりの血管をふさぐ治療は繰り返し受けた。その結果、腫瘍は縮小し、圧迫されて6ミリの細さになっていた気管は14ミリに広がった。しかし、病状は容赦なく進み、体の痛みにも悩まされるようになった。2011年末ごろから、骨への転移の影響で、腰の痛みが激しくなった。体を動かすたびに激痛が走り、立つことも歩くこともつらい。翌2012年2月、大阪市内のクリニックで、腰に放射線を当てる治療を受け始めた。この頃、自宅近くの野崎クリニック(東京都江東区)に週1回ほど通院し、骨転移の治療薬などの点滴も受けるようになった。ネット上では「激やせした」と指摘されることもあったが、出演したテレビ番組では「ダイエットの効果です」などと話し、明るく振る舞い続けた。「テレビの中にいる元気な自分こそが本来の自分だ」。そう確信していた。だが、病気は進行し、2012年7月上旬には酸素を鼻から吸いながら自宅で過ごすようになった。野崎クリニックの看護師、嵯峨崎泰子さん(50)らが週3回ほど自宅に来て、日々の体調や痛みなど様々な相談に乗ってくれた。7月中旬、せきが「ゼー、ゼー」とした音に変り、黄色いたんが絡むようになった。「命取りになるから」と用心していた肺炎の発症だった。8月中旬、ニッポン放送のラジオ番組に出演したのが、家から外に出て仕事をする最後の機会となった。このころから、痛みを抑える医療用麻薬の貼り薬を使っても、骨転移に伴うひざやひじ、頭部の痛みがうまく抑えられないようになった。8月下旬の早朝、胸が突然苦しくなり、呼吸困難で一時的に危篤状態に陥った。「死期が近くまで迫っている」。そう悟った金子さんは、遺言を完成させ、自分の葬儀やお墓の準備を始めた。葬儀社の社長や住職らと相次いで会い、死後の手続きを整えていった。(11月17日 朝日新聞 患者を生きる 金子哲雄の旅立ち より)
Jan 23, 2016 13:51

治療の日々 笑顔忘れず
流通ジャーナリストの金子哲雄さんは、2011年6月に肺がんの一種「肺カルチノイド」と診断された。ただ、厳しい現実をすぐには受け入れられなかった。健康には自信があった。たばこは吸わないし、酒もほとんど飲まない。食事にも配慮していた。趣味はサイクリングで、時間があれば体を動かしていた。しかし、肺にできた腫瘍は肝臓や骨にも転移しており、有効な治療法は見当たらないという。納得できずにいたところ、腫瘍を縮小させたり、死滅させたりするために周囲の血管をふさぐ治療を大阪のクリニックが行っていることを、知人の紹介で知った。公的医療保険を使って治療が受けられることも分かり、8月初め、ゲートタワーIGTクリニック(大阪府泉佐野市)を訪ねた。肺の腫瘍は血管や気管を巻き込んで大きくなっており、院長の掘信一さん(66)は「病期は4期」と診断した。その上で「この病気は進行が遅い。治療する時間的な猶予はある。手を尽くします」と話した。「命がつながった」。掘さんの言葉を聞いた金子さんは、心が救われる思いだった。治療は8月下旬から始まり、1回2時間ほど。まず、脚の付け根の動脈からカテーテルを入れ、肺の腫瘍の周囲の血管に抗がん剤を入れる。これに続いて、腫瘍への血液の流れを止める「塞栓物質」を送り込んだ。この治療を繰り返し受けるために、仕事を続けながら、自宅のある東京とクリニックがある大阪とを行き来する日々が始まった。金子さんは、看護師や事務員の数を下調べしたうえで、自分が好きな老舗のあんパンを手土産として持ってきた。「体がしんどいときに、そこまで気を使わなくても・・・・」。どんな状況でもニコニコと明るく、周囲への気配りを忘れない金子さん。その姿に、掘さんは強く心を打たれた。金子さんは全力で治療と仕事に取り組み、自身の病状は、限られた関係者以外、公表しなかった。「公表すれば、仕事への影響が出るし、周囲にも気を使わせてしまう」。そう考えた。(11月18日 朝日新聞 患者を生きる 金子哲雄の旅立ち より)
Jan 13, 2016 15:04

「僕、死んじゃうんだ・・・」
むせかえるような激しいせきが、止まらなくなった。流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、体調の異変をかんじたのは2011年。40歳のころだった。身ぶり手ぶりを交え、お得な買物情報を分かりやすく解説するスタイルがお茶の間で人気を呼んでいた。テレビやラジオの出演をこなす多忙な日々の最中だった。ただ、鏡を見ても顔色は悪くない。「大丈夫。忙しいから、ちょっと疲れているだけ」。そう自分に言い聞かせた。一方、妻の稚子さん(48)はいやな予感がした。「絶対におかしい。検査して」。苦しそうにせきをする様子を見て、哲雄さんに強く勧めた。「年のため、検査を受けてみようか」。6月上旬、都内の病院で胸部のCT検査を受けた。数日後、検査の結果を医師から告げられた。「末期の肺がんです」。突然の宣告。全身から力が抜けていくのが分かった。「僕、死んじゃうんだ・・・」。哲雄さんから電話で連絡を受けた稚子さんも、「うそでしょ」と返事するのがやっとだった。病状を詳しく調べるため、肺の細胞を取る検査を、都内の別の病院で受けた。6月上旬、肺がんの一種「肺カルチノイド」と診断された。初めて聞く病名だった。画像診断の結果、直径約9センチの腫瘍が、左右の肺にまたがるように広がっていることが分かった。肺カルチノイドは比較的進行が遅い病気だ。しかし、すでに肝臓や腰の骨にも転移していて手術や放射線治療は難しい状態で、化学療法の効果も見込めないという。思えば、せきのほかに、顔がむくむ症状も出ていた。腫瘍によって静脈が圧迫され、血行が悪くなったのがむくみの原因だった。これといった治療法はない・・・。医師の言葉に納得できず、都内の大学病院などを回ったが、答えは同じだった。見捨てられたように感じ、落胆と怒りの気持でいっぱいになった。「なぜ、自分がこんな目にあわなくてはならないんだろう」。現実を受け入れられず、自宅の部屋に戻ると涙が止まらなくなった。(11月17日 朝日新聞 患者を生きる 金子哲雄の旅立ち より)
Jan 09, 2016 09:51

今を楽しみながら
甲状腺がんが肺に転移した愛知県一宮市の女性(44)は2012年5月、検査により「放射性ヨウ素内用療法」では十分な治療効果がないことが分かった。同じ頃、愛知県がんセンター中央病院では、転移などで手術ができない甲状腺がんを対象に、新しい分子標的薬の効果や安全性を確認する臨床試験(治験)が始まっていた。医師から情報提供を受けた女性は、この治験に参加することを決めた。治験では1日1回、決まった時間に錠剤を飲む。6月中旬から服用が始まった。しばらくして、薬の副作用に見舞われた。下痢が続き、体がふわふわする。ふわふわとした感じは、ふだん120程度の最高血圧が160に上がったためだった。「体の中でいったい、何が起きているんだろう」。怖くなった。同センターの主治医、谷口浩也薬物療法部医長(37)のもとを定期的に訪れた。血圧を抑える薬も飲むようになった。副作用がひどくなると、服用を休んで、薬の量を段階的に減らした。開始から3カ月後のCT検査では、肺の腫瘍が縮小していた。しかし、女性はもともと、がんの症状がなかった。「薬を飲むことで、なんでこんなつらい思いをしなくちゃいけないのか」。そんな疑問にかられることもあった。治験に参加してから3年が経った今年5月、新薬はレンビマ(一般名レンバチニブ)という名前で発売されることが決まった。「これからは、いつでも薬が買えるようになるので、しばらく薬を休みたいです」。女性は谷口さんに伝えた。谷口さんは「いまは進行がゆっくりでも、この先ずっとそうとは限りません。3カ月に1度、必ず検査を受けに来てください」と応じた。女性は今、子育てに忙しい日々を送りながら、休日は家族でキャンプに出かけるなどしてリフレッシュを心がけている。この秋に受けた検査では、転移した腫瘍は大きくなっていなかった。ただ、この先、がんが進めば服薬を再開する可能性はある。「定期的に検査をうけながら、今できることを楽しみながら、病気と長く共存していきたい」。そう考えている。(11月13日 朝日新聞 患者を生きる 甲状腺と新薬より)
Jan 03, 2016 10:13


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