流通ジャーナリストの金子哲雄さんは、2011年6月に肺がんの一種「肺カルチノイド」と診断された。ただ、厳しい現実をすぐには受け入れられなかった。健康には自信があった。たばこは吸わないし、酒もほとんど飲まない。食事にも配慮していた。趣味はサイクリングで、時間があれば体を動かしていた。しかし、肺にできた腫瘍は肝臓や骨にも転移しており、有効な治療法は見当たらないという。納得できずにいたところ、腫瘍を縮小させたり、死滅させたりするために周囲の血管をふさぐ治療を大阪のクリニックが行っていることを、知人の紹介で知った。公的医療保険を使って治療が受けられることも分かり、8月初め、ゲートタワーIGTクリニック(大阪府泉佐野市)を訪ねた。肺の腫瘍は血管や気管を巻き込んで大きくなっており、院長の掘信一さん(66)は「病期は4期」と診断した。その上で「この病気は進行が遅い。治療する時間的な猶予はある。手を尽くします」と話した。「命がつながった」。掘さんの言葉を聞いた金子さんは、心が救われる思いだった。治療は8月下旬から始まり、1回2時間ほど。まず、脚の付け根の動脈からカテーテルを入れ、肺の腫瘍の周囲の血管に抗がん剤を入れる。これに続いて、腫瘍への血液の流れを止める「塞栓物質」を送り込んだ。この治療を繰り返し受けるために、仕事を続けながら、自宅のある東京とクリニックがある大阪とを行き来する日々が始まった。金子さんは、看護師や事務員の数を下調べしたうえで、自分が好きな老舗のあんパンを手土産として持ってきた。「体がしんどいときに、そこまで気を使わなくても・・・・」。どんな状況でもニコニコと明るく、周囲への気配りを忘れない金子さん。その姿に、掘さんは強く心を打たれた。金子さんは全力で治療と仕事に取り組み、自身の病状は、限られた関係者以外、公表しなかった。「公表すれば、仕事への影響が出るし、周囲にも気を使わせてしまう」。そう考えた。(11月18日 朝日新聞 患者を生きる 金子哲雄の旅立ち より)