東京都江東区で保育士として長年働いてきた国井京子さん(56)は、卵巣がんの2度の手術と抗がん剤治療を経て2008年1月、約1年ぶりに職場復帰した。短時間勤務から始める選択肢もあったが、最初からフルタイム勤務にした。心配する同僚には、「つらいときは、自分からつらいと言うし、耐えられなかったら休日をとるから、以前と同じように接して」と伝えた。園児たちに囲まれていると、「私がいる場所はここなんだ。私を必要としてくれているのは、この子らなんだ」と、胸がいっぱいになった。病気を経験したことで、「命はいただきもの」という思いが強くなった。その瞬間瞬間を、思い切り楽しそうに過ごしている園児たちを見るだけで、いとおしくなった。それから約6年。2014年4月に、江東区立亀戸保育園の園長に就任した。しかし、その3カ月後、定期的に受けていた腫瘍マーカーの数値が上がっていた。PET検査を受けると、腹膜にがんが見つかった。9月に手術を受け、摘出した組織を調べたところ、原発の卵巣がんが転移したものだった。仕事を続けるため、その後の4カ月間の抗がん剤治療は通院を選んだ。朝6時に病院に着き、できるだけ速い順番をとって約6時間の点滴治療を受けた。職場に戻るのは夕方になった。副作用の吐き気や脱力感がひどい時は通院や通勤にタクシーを使った。昨年2月に抗がん剤治療が終わり、経過観察を続けている。「職場の理解や医学の進歩、そして家族の支えがあって、今の私がある」と感じている。公務員のために条件が恵まれていたことは感謝している。がん患者が増え続ける中、きちんと休職でき、給与も保証されることが当たり前の社会になってほしいと思う。部下の保育士が、がんで休職することも経験した。復職したその保育士には、自らの経験をもとにアドバイスの言葉をかけた。「つらいときはいつでも言って、休んでね。いつでも休日をとってもらうから。言ってもらえないと私たちにはわからないし、自分の体のケアは、自分しかできないから」。(3月31日 朝日新聞 患者を生きる 働く・後編3より)