寝て、テレビを見て、泣いてばかりだった生活も、医療スタッフの支えもあって変わり始めた。週に一度訪れるボランティアからは絵手紙の書き方を習っている。10日の母の日には、同じく闘病中の母(75)に「元気になったら会いにおきます」とカーネーションの絵を添えて手紙を出した。病室に様子を見に来ていた担当の原口勝医師(52)が「あれはカーネーションのつもりだったんですね」とからかった。女性は「もっとうまくならないと」と照れ「ここまで元気になれたのは、先生たちの励ましのおかげです」と涙をこぼした。原口医師は、那珂川病院に勤務するようになった4年前まで九州がんセンター(福岡市南区)などで外科医を務め、朝から夕までがんの手術にあたっていた。手術に追われ、ベッドサイドで患者と会話ができるのは、夕方以降のわずかな時間。退院した患者がどんな生活を送っているのかも知ることができない。「手術だけでは患者の苦痛は取り除けない。24時間、最期まで患者と向き合いたい」との思いが募り、緩和ケア病棟の開設準備をしていた那珂川病院に移った。(西日本新聞)