7週間の放射線治療を終えたが、肝心の声はほんのかすれ声程度しか出なかった。2014年9月、落語家の林家木久扇さん(77)は、声がれはいずれ治ると聞いていても、不安で仕方なかった。「このままだと落語家としての道は閉ざされる」。数週間後に、本格復帰となる寄席が控えていた。長男の二代目木久蔵さん(39)も出演予定で、「声が出なくても、姿だけでも見せてほしい」と言われていた。前日になっても、かすれ声のまま。長女でマネージャーの豊田佐久子さんは「明日は話すのは無理そうだ」と主催者に伝えた。寄席の翌日には、テレビ復帰となるバラエティ番組の収録もあった。「奇跡のようなできごと」は、寄席当日の朝に起きた。「あはよう」。家族に何気なく発した声。かすれてはいる。それでも、これまでと比べ物にならないくらい、しっかりしていた。「あら、声が出たんじゃない!」。「出たね」。「また出た!」。妻の武津子さん(68)と佐久子さん、弟子も居間に集まって歓声を上げた。「結婚してからこんなにうれしかったことはないわ」と武津子さんは涙ぐんだ。舞台では、がらがら声だがマイクを通して客席に届いた。笑いで返してくれる客席を見ながら、実感した。「戻ってきたんだ」。木久扇さんは「気持の力が大きかった」と振り返る。ある日突然回復することもあると聞いてはいたが、佐久子さんは「まさにプロ根性だと思った」と話す。人気テレビ番組「笑点」には、10月19日の放送から復帰。この日は77歳の誕生日だった。冒頭、復帰を報告した。「よく診てもらったら喉頭がん。頭の後ろからボカッと殴られて気絶しそうな感じでございました。『後頭、ガン』、なーんちゃってね」。自分の経験を笑ってもらい、がんでもめげずにやれことがあること、治して復帰する人がいることを知ってもらいたい。個人芸で身を立ててきた。だが、多くの人に支えられてきたと実感した。家族や弟子との関係、一つ一つの仕事でのつながりを大事にしたい。「残された人生、濃く生きていきたい」と胸に刻んでいる。(4月17日 朝日新聞 患者を生きる 木久扇の声より)