私はがんを患ってから「今を大切に」という気持ちで生きている。とはいえ、死への不安、恐怖が全くないのかと言われればそうではない。そういった思いに押しつぶされそうになることは、たぶたびある。いつも考えているわけではなく、ふとした瞬間に。例えば、子どもたちの溢れんばかりの笑顔をみたときなどに。しかし冷静に考えれば、がんにならなくても死は必ず訪れる。命あるものに決められた、いわばシステムのようなものだ。思うに私が恐れているのは、死そのものよりも、自分がいなくなったとしても日常は何事もなかったかのように繰り返され、冬の澄んだ空気も、やがて訪れる春の香りも、水面を照らす夕日の美しさも、何ら変わらず、ただ自分が存在していたというところだけがぽっかりと消滅する・・・。愛おしい子どもたちの成長をみることができない・・・。このことに尽きる。けれども、と思う。恐怖は精神を損ない、そこからは何一つ生まれない。なぜ死を恐れるのか?それはやはり、私はどう生きたらいいのかをまだ知らないのだ。探求し続けなければ・・・。私が今を生きるには、つまり恐怖心から開放されて自由に生きなければならない。求めてはいけない・・・と思う。検挙にそれでいて鋭敏に、そして聡明に生きたい・・・生きていたい、と思う。西富貴子 西日本新聞「生きてる・・・」より。