「がんになっちゃた」。2009年6月中旬。乳がんと診断された東京都の女性(61)は、病院を出るとすく、家族に携帯電話をかけた。母親(86)はその10年前に乳がんで全摘手術を受けていた。「私も大丈夫だったから、お前も大丈夫」。母からそう励まされた。医師に勧められ、手術前に抗がん剤の点滴を受けた。7月初めから3週間に1度通院した。副作用は予想以上にきつかった。体はだるく、手足はむくんだ。口内炎ができ、味覚障害で何を食べてもおいしさを感じなくなった。大好物のミカンも、のどを通らなくなった。かろうじて食べられたトマト味の野菜スープを、毎日のように作って食べた。髪は抜け、顔はむくんだ。その姿を目にしたくなく、鏡は見なくなった。それでも、副作用で黄色くくすんだ手と、黒く変色した爪はいやでも目に入った。ブラジャーなどを製作する下着パタンナーの仕事は続けた。自分と3人のスタッフだけの会社のため、代わりはきかない。平日は朝から夕方までパソコンに向かった。土日は疲れて起き上がれないほどだったが、仕事をしていたことで気は紛れた。取引先になるべく違和感を与えないようにと、ウイッグを買って着用した。しかし、夏場でウイッグから汗が流れ落ちた。髪が短くはえ始めると、思い切ってつけるのをやめた。3クール目の抗がん剤治療で、足の甲から太ももまでパンパンにむくみ、立っていられないほになった。その頃から毎晩寝る前に夫が30分ほど手足をさすってくれた。女性は横になったまま、その日の出来事を話した。夫のマッサージはお世辞にも上手とは言えなかったが、手のぬくもりが伝わってきた。抗がん剤治療にくじけそうになる心を支えてくれた。手術は、聖路加国際病院(東京都中央区)の医師、山内英子さん(52)が担当になった。仕事のことを話すと、山内さんに言われた。「乳がんの手術をした患者さんに合うブラジャーはなかなかない。あなたの経験が、いつかほかの人の役に立つかもしれない」。(7月22日 朝日新聞 患者を生きる 乳房の切除より)