子宮頸がんの治療後に再び体調が悪化した、タレントの原千晶さん(41)は2009年12月、婦人科クリニックで子宮の異常を指摘された。「この時がついに来てしまった。どうしよう」。後悔と恐怖が、一気に押し寄せた。以前に手術を受けた東京慈恵会医科大病院(東京都港区)に、月に1度検診に行く約束で、子宮を残す道を選んでいた。だが、3年ほど病院から足が遠のいていた。行きづらくて都内の別の病院を紹介してもらい、受診した。医師は診察し、言った。「どうしてこんなになるまで放っておいたの」。返す言葉もなかった。「がんの疑いが強い」と告げられた。検査の結果、子宮頸部の腺がんの疑いと診断された。2005年に見つかった扁平上皮がんとは異なるタイプで、悪性度が高いという。子宮などを摘出する手術の後、抗がん剤治療が必要だと説明された。5年前の、子宮を取るだけで済むという状況とは大違いだった。以前のカルテが必要だと言われ、東洋慈恵会医科大病院の落合和徳さん(66)に連絡した。「すぐにいらっしゃい」と落合さんは答えた。3年振りに訪ねた病院で、原さんは謝った。「勝手な行動を許してください。がんから逃げられると思っていました」。診察の後、落合さんは「必ずまたテレビに出られるようにしてあげるから」と言葉をかけた。「この人にゆだねよう」。原さんはここで手術を受けようと決めた。詳しい検査を受けたところ、子宮頸部近くにできた、子宮体がんであることがわかった。体がんは、子宮頸部の奥にある体部にできるがんで、頸がんとは発声原因も性質も全く異なるがんだ。手術までの間、気がかりだったのは、恋人との今後だった。お互い、結婚を意識していた。素直に気持を打ち明けた。「子どもが産めなくなる人と結婚するというのは、どうなの?」。彼の両親も、孫の顔を心待ちにしているに違いない。しかし、彼は言った。「子どもが産めなくなる運命が君にあったのなら、僕にもあったのだと思う」。2010年1月中旬。30歳のときにはどうしても決断できなかった、子宮摘出手術を受けた。(4月30日 朝日新聞 患者を生きる 原千晶の願いより)