おなじみのオープニング曲に合わせ、舞台上手から落語家の林屋木久扇さん(77)が登場した。黄色の着物姿。客席から、拍手がわき起こった。日本テレビ系の長寿番組「笑点」の大喜利。40年以上レギュラーを務める古参メンバーの一人だ。東京・日本橋の雑貨問屋に生まれた。初めは漫画家を志した。指導を受けた漫画家の紹介で1960年に落語の道に入った。1972年、林家木久蔵として真打に昇進。「木久蔵ラーメン」を商品化するなど、事業も手がけた。二代目木久蔵を襲名した長男の宏寿さん(39)ら10人の弟子を抱える。「毎日しゃべっていないとだめ。笑点も客席も、お風呂に入ったり歯を磨いたりするのと同じくらい欠かせないもの」。そんな木久扇さんに昨年6月ごろ、異変が起きた。商売道具の「のど」だった。寄席の高座で話し始めても、終わる頃にか声がかれた。「コホンコホン」。かすれたようなせきも出るようになった。風邪薬をのんでも良くならなかった。7月初め、笑点の収録日。急きょ隣に座る三遊亭好楽さんに、ネタを耳打ちし、代わりに話してもらうことにした。見慣れぬ演出に客席から笑いが起きる。司会の桂歌丸さんも「木久ちゃんにも助手がつくようになった」とちゃかして盛り上げた。でも、もどかしくてたまらなかった。「なぜ、声が出ないんだ?」。7月上旬、以前に胃がんの手術を受けた東京慈恵会医科大病院(東京都港区)を受診した。検査の結果、「喉頭がんが強く疑われます」と耳鼻咽喉科客員教授の加藤孝邦さん(66)が言った。喉頭はのどの一部で、舌の付け根から気管までの部分。左右一対の声帯があり、空気で振動することで声が出る。内視鏡で撮った写真には、声帯がある声門付近に白いものが写っていた。大きさは1センチほどで、悪性腫瘍の疑いがあるという。「これっぽっちのものが、がんなのか」。真っ先に浮かんだのは仕事のこと。いくら名が売れても保障はない商売だ。「笑点の座布団も寄席の出番も、他の人に取られてしまうんじゃないか」。焦りと不安が駆け巡った。(4月14日 朝日新聞 患者を生きる 目久扇の声より)