がんの告知を受けた患者や支援者たちが、チームを組んでリレー形式で24時間黙々とグラウンドを歩き、お互いの境遇を語りながら励まし合う福岡県内初の「リレー・フォー・ライフ」という行事の準備が進んでいる。1週ごとに支援者から募金を募る慈善事業だが、実行委員長で自らも闘病する宮部治恵さん(40)=福岡市東区三苫=は「暗闇の向こうから大勢の励ましが聞こえてくるような感覚を味わってほしい」と話している。10月3、4日に同市東区の海の中道海浜公園・光と風の広場(1週約400m)である。実行委は計32人で、20人以上が患者の家族、同僚、友人ら。10人足らずだが、患者もいる。九州での開催は昨年の大分に次ぎ2カ所目。静岡県出身で神奈川県に住んでいた宮部さんは2002年、子宮頸がんと分かった。夫の祖父母に「子どもの生めない嫁はいらない」と言われ、夫もかばいきれず離婚した。当時勤めていた会社で、がんを告白するまで1年かかった。甲状腺、大腸と転移し、絶望と希望の狭間を行き来しながらも、ない生きている自分を顧みて、外出しようかと思えるまでに四年がたっていた。2006年8月に現在の夫、博喜さん(41)に出会った。「がんなの。子どもを生めない体なの」と打ち明けたら、「だから?おれだっていつなるかわからんし」と言われた。翌月、つくば市であったリレー・フォー・ライフに参加。「がんでもいいじゃん」という横断幕を持って行進する一団もいた。前向きになれた。告知から4年もの間、化粧も、おしゃれをすることも無意味に思えたのが、過去のものになった。2007年1月、福岡市博多区の博喜さんの実家に結婚を報告に行った。長男である博喜さんの子どもを生めないことを気にする宮部さんを、博喜さんの両親は「そんな心配をするくらいなら、自分の体を心配しなさい」と諭した。夫妻は昨年、宮部さんの提案で福岡市に転居。生涯を暮らす土地と決めた。再発の危険性がつきまとう宮部さんが、福岡での開催を企画した上「実行委員長になる」と提案すると、博喜さんは副委員長を買って出た。「苦しみを少しでも軽くしてあげたいし、経済的な支援になれば幸い」と宮部さん。参加者全員と話をしたいと準備に追われている。問い合わせは宮部さんの携帯電話080-3998-6500へ。(朝日新聞)