後腹膜平滑筋肉腫が再発した静岡市の女性(54)は、2008年9月末から、国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)で、新薬の治験を受けることになった。「この治験で、効果がなければ後がない」。そんな思いで臨んだ。薬は家血管新生阻害剤と呼ばれる種類の分子標的薬。1カ月入院し、毎日1錠、薬を飲んだ。その間、肺に転移していた1センチほどの腫瘍は大きくならず、副作用もほとんどなかった。担当した呼吸器内科の軒原浩医師は「続けましょう」と女性に言った。それまでと同じ、最低の用量での治験継続が決まった。退院し、自宅から東京まで通いながら治療を受けた。3週間に1度、午前9時前の新幹線に乗り、血液検査などを受け、薬を受取るとすぐに静岡に戻った。それ以外は、ほとんど自宅にこもった。再発を機にピアノ講師の仕事を辞めたが、本当は続けたかった。「生徒たちにきちんと説明もできなかった」。「どうしてこんな病気になってしまったんだろう」。気分は落ち込んだ。女性の様子を心配した夫(54)に、「せっかく東京に行くんだから、とんぼ返りしないで遊んできたらどう?」と言われ、はっとした。2009年になって、新幹線の車窓から桜を眺めながら思った。「病気になったけど、チャンスをもらって、こうやって生きている。もっと楽しもう」。軒原さんの「薬を長く飲むことができて、調子良いですね」という言葉に力づけられ、スタッフの優しさにも気づくようになった。診察を受ける日には、都内で買物や歌舞伎鑑賞を楽しむようになった。そんな日々は約3年半続いた。薬の治験は、安全性をみる1相から、肺がんに対する効果を見る2相へ進んだが、製薬会社は2012年5月、開発の中断を決め、治験は終了になった。女性も薬を使うことはできなくなった。軒原さんは「女性にはよく効いていたようだが、治験を受けた人全体でみたときに、ちりょうの効果と副作用のバランスが悪かったということでしょう」と話す。女性の支えになっていた薬は「幻」となった。