タレントの原千晶さん(40)は2004年12月下旬、耐え切れないほどの痛みで婦人科を受診し、子宮の入口(頚部)にできものが見つかった。詳しい検査を受けるため、東京慈恵会医科大病院(東京都港区)へ行った。検査の後、婦人科医の落合和徳さん(66)から、診断を確定させるために「円錐切除術」という手術を受けるよう勧められた。子宮頸部を円錐状に切除し、取った部分を病理検査するという。「がんの可能性もある」と説明されたが、「そんなわけない」とあまり気にとめなかった。2月下旬、手術を受けた。全身麻酔だったが。1時間もかからずに終わった。札幌市に住む母親の多恵子さん((65)が上京し、付き添ってくれた。手術の2日後には退院し、自分で車を運転して帰った。手術と聞いて身構えていたが、あっけなく終わった。おりものの異常や腹痛も無くなり、すっきりした気持だった。「こんなことなら、もっと早く病院に行けばよかった」。約2週間後、病理検査の結果を多恵子さんと聞きに行った。「何かあったらまたおいで」と言われるぐらいだろう。軽い気持で診察室に入った。「この前とったところだけど、がんでした」。予想もしていなかった落合さんの言葉に、頭が真っ白になった。子宮頸がんの一種で、頚部を覆う細胞にできる「扁平上皮がん」。がんが子宮頸部にとどまっている「1期」の中でも、ごく初期の「1a1期」という。だが、もっとショックだったのは、その後の言葉だった。「再発・転移をさせないため、子宮を前部とったほうがいいと思います」。1期で一般的な子宮の摘出手術を勧められた。その瞬間、隣にいた多恵子さんが、原さんの右手をギューと強く握った。「先生、わたし、子どもを産めなくなるんですか」。当時30歳。結婚して子どもを産む。それはいつか叶う夢だと信じていた。「どうしよう。なんでこんなことになったの。なんで子宮を取らないといけないの」涙がボロボロと、止め処なくあふれた。