「子どもを産めなくなるんですか」。2005年3月、初期の子宮頸がんと診断されたタレントの原千晶さん(41)は、思わず問い返した。がんの再発・転移を防ぐために子宮摘出手術を受けるよう勧められた、東京慈恵会医科大病院(東京都港区)の主治医、落合和徳さん(66)は一瞬の間をおいて、「そうだね」と答えた。「今なら子宮を取るだけで、卵巣・卵管の切除、抗がん剤や放射線の追加治療もいらないから。1週間考えて決めてください」。この場からいなくなりたい。逃げるように診察室を出た。帰りの車中、付き添っていた母親の多恵子さん(65)が言った。「ショックなのはわかるけど、お母さんは、あなたがいてくれないと困るのよ」。それまで見たことのない、悲痛な表情だった。札幌にいる父親竹男さん(67)とも、電話で話した。その5年ほど前に大腸がんの手術を経験していた。竹男さんは「俺は手術を受けてほしいと思う」と言った。いつも厳しかった父が、電話の向こうで泣いていた。「俺とお母さんに、孫の顔を見せなくちゃとか、考えなくていいから。お前が生きててくれ」。両親や友人、主治医の言葉に「とにかく手術を受けよう」と決めた。「結婚して赤ちゃんを産めなくても、しっかりと仕事をしていけば人生を切り開いていける。仕事に生きるのも一つの選択肢のはず」。いつ子どもを産んで、その間の仕事はどうするのか。それまでの漠然とした不安から、解き放たれるような気もした。手術は約1カ月後。今の自分の姿を残したいと、写真家の篠山紀信さんに頼んで、写真を撮ってもらった。だが、その後、心が揺れ始める。がんが再発したり、転移したりするかどうかは誰にもわからない。「なのに、どうして子宮をとらなければいけないんだろう」。「仕事も恋愛もうまくいかない。この上、子宮まで失ってしまうなんて」。子どもを産める可能性を少しでも残しておきたかった。入院前日、落合さんに電話をかけた。「先生、どうしても手術を受けられません。子宮をとりたくないんです」。(4月28日 朝日新聞 患者を生きる 原千晶の願いより)