5年前に進行した胃がんの手術を受けた広島県の女性(74)は今年6月、夫(75)と一緒に広島市民病院を訪れた。手術からちょうど5年を過ぎて受けたCTや血液の検査結果を、主治医の二宮基樹副院長(64)から聞くためだ。胃がんは5年間再発がなければ、その後の再発はまれとされる。女性はほぼ完治したと考えられ、この日が一連の治療からの「卒業式」となった。診察室に入ると、二宮医師は「よかった」と声をかけた。「骨の中まで調べましたが、どこにもがんは見つかりません」。腎機能、肝機能などの数値も正常だった。「あれほど抗がん剤を使ったのに腎臓も肝臓もダメージを受けていない。この数値は驚異的です。私のほうが悪いくらいだ」。二宮さんは女性に笑顔で語りかけた。5年前、女性のがんは、手術できるかできないかの瀬戸際まで進行していた。二宮さんからは手術前、「がんの状態によっては、切除不能の可能性もある」との説明を受けていた。しかし、女性も夫も、そのことを覚えていない。「早く切ってもらおうという一心だったので」と夫が言うと、「2人とも能天気な夫婦なんで」と女性が続ける。「不思議と、くよくよ悩む患者さんよりも、前向きな患者さんのほうが治りがいいんです」と二宮さんが応じた。「あれほどの胃がんから生還されたという事実は、我々医者にも勇気を与えてくれます」。最初に女性の異変を見つけた開業医に夫が最近会った際、その医師から「実はもって半年か1年と思っていた」と打ち明けられた。女性は「すごい大変なことだったんだと今さら思います。5年間は転移の心配とか無頓着に過ごしたのがよかったのかも」という。手術後にいったん10キロ減った体重は、ようやく8キロほど戻った。「今でも茶わん一杯のごはんでも、一度に食べられません」。昨夏、夫婦は県内随一の桜の名所に引っ越した。夫の胃がんのことは、周りの人には話していなかった。花見の時期に立ち寄ってくれた知人たちには、「いまちょっと留守なんです」とだけ話し、不義理をしてしまっていた。「来年は、みんなで花見を楽しみたいと思います」。(7月3日 朝日新聞 患者を生きる より)