千葉県市川市の産婦人科医、斉藤信彦さん(68)は2007年11月上旬、地元の病院で大腸内視鏡検査を受けた。S字結腸に、直径4センチの腫瘍が見つかった。「大腸がんだとすると、肝臓に転移しているかもしれない。エコー検査で調べてみましょう」。担当医に勧められ、すぐに超音波検査を受けた。検査のあと、担当医が言いにくそうな様子で結果を告げた。「転移と見られる腫瘍が、肝臓に複数見つかりました。S字結腸がんの4期だと思います」。帰りがけ、担当医から、こう声をかけられた。「これからが大変です。でも、生きる希望をお持ちになってください」。夜7時過ぎ、病院の駐車場へ戻ると、真っ暗になっていた。涙があふれて止まらなくなった。「どうしよう」。経営している産婦人科医院の今後のことや家族のことが、頭をかけめぐった。「肉眼で見える血便はなかったし、そのほかの自覚症状もほとんどなかった。本当に、いきなりでした」。がんの治療に専念するため、産婦人科医院は休診することにした。それまで通院してくれていた人たちには、「しばらく外来を休むことになりました」とだけ告げ、代わりの医療機関を紹介した。「もうこれで、この医院にも帰って来られないかも知れない。そう思うと、寂しい気持でいっぱいでした」。地元の病院からは、がん研有明病院(東京都江東区)で治療を受けるよう勧められた。11月中旬に入院し、CTやMRIなどの精密検査を受けた。11月下旬に手術するという。MRIの画像を見ると、肝臓への転移が広い範囲に散らばっていた。「これはきっと、予後がよくないだろうな」。日記には「きついなー」と書き込んだ。入院した部屋は窓からの眺めがいい。妻の紀子さん(65)は「飛行機がよく見えるわよ」と、努めて明るく話しかけた。でも、景色を眺める気分にはなれず、3日間、カーテンを閉め続けた。(7月29日 朝日新聞 患者を生きる 転移と手術より)