アフラックの保険のご紹介と資料請求ができるe保険Shopのホームページブログです

アフラックがん保険 トップページサイトマップ勧誘方針 アフラック
がん保険 ご契約までの流れ 各種手続き よくある質問 会社案内
トップページ > 2015年12月

我が子と離れる治療悩む
甲状腺がんが肺に転移しているとわかった愛知県一宮市の女性(44)は、2012年1月、愛知県がんセンター中央病院を訪れた。当時主治医だった四日市羽津医療センターの梅枝覚・副院長(63)が紹介状を書いてくれた。医師からは甲状腺がんが転移した場合の治療として「放射性ヨウ素内用療法」の説明を受けた。転移した肺のがん細胞は、甲状腺がんと似た性質を持っている。治療は甲状腺の組織がヨウ素を取り込む性質を利用して、放射性ヨウ素が入ったカプセルを服用し、体の中からがん細胞に放射線を当てる。女性の場合、肺の腫瘍の数が多くて手術ができないため、「唯一の治療法」になるという。ただ、甲状腺が残っていると、治療のためのヨウ素が甲状腺に集まってしまう。まずは甲状腺をすべて摘出する手術を受けた。愛知県がんセンターにはヨウ素内用療法の専用設備がなかったため、東海地方の別の病院を受診することになった。そこで治療にあたっての注意点を聞き、女性は強いショックを受けた。放射性ヨウ素を服用すると、1週間ほど隔離病棟へ入院する必要がある。さらに退院後も内服したヨウ素からわずかな量の放射線が出るため、1~3週間は、子どもと蜜に接することや添い寝など、近くで一緒に長時間過ごすことができない。15分以上は子どもを抱かないようにして、半年間は妊娠を避ける必要もある。女性は2歳の我が子を思い浮かべて考えた。「1カ月近くも子どもをだっこせずに離れているなんて、できるわけがない」。とっさに質問した。「治療をしないで病気を放置したら、どうなりますか」。「進行すればの話ですが、呼吸が苦しくなる症状が出るでしょう」という答えが返ってきた。5月、まずは微量のヨウ素を体内に入れて、肺に取り込まれるかどうか、試すことになった。しかし、肺のがん細胞にヨウ素は十分取り込まれなかった。治療を実施しても、あまり効果は望めないという診断結果だった。「これで治療を受けない理由ができた」。我が子と離れる心配がなくなり、女性は内心、ホッとした。(11月12日 朝日新聞 患者を生きる 甲状腺と新薬より)
Dec 23, 2015 09:10

結婚・出産 10年目の転移
甲状腺がんの一種、乳頭がんと診断され、2002年に甲状腺の一部を摘出する手術を受けた愛知県一宮市の女性(44)は、その後も定期的に検査を受けた。「忘れた頃に再発することがありますから」。主治医の四日市羽津医療センター副院長、梅枝覚さん(63)は毎年CT検査を受ける必要性について、そう説明した。当時、地方銀行の総合職として働いていた女性は、東海地方を転勤しながら忙しい毎日を送っていた。休日は同僚らと山登りを楽しんだ。「悪い部分は手術で全部取った」と思いながら、がんのことを考えることもなくなった。手術から4年後の2006年に結婚。銀行を退職し、7月に夫(45)の赴任先の米オハイオ州に移り住んだ。梅枝さんは「甲状腺ホルモンのバランスが崩れないよう、薬はしっかり飲み続けてくださいね」と言って送り出してくれた。2010年3月に米国で長男(5)を出産した。年に一度帰国するたびにCT検査は受け続けた。渡米から5年後の2011年、夫の赴任期間が終わって帰国。その年の秋に受けた人間ドックのX線検査で「肺に影がある」という結果が届いた。「肺炎?結核かなあ?」。心のどこかで、「がん」の可能性を打ち消そうとしていた。すぐに梅枝さんの元を訪れた。PET検査の結果、肺の「影」は腫瘍である可能性が高まった。12月下旬、胸腔鏡を使って肺の細胞を取る検査を受けた。腫瘍が肺がんなのか、甲状腺がんの転移なのかを調べるためだった。数日後、女性は梅枝さんから病理検査の結果を告げられた。「肺の腫瘍は、甲状腺がんが転移したものでした」。「がんの治療は、もう終わったものだと思っていたのに・・・・」。信じられない思いだった。梅枝さんは「甲状腺のがんの性質を持つので、進行は遅いと思いますが、腫瘍が多いので放置しないほうがいいでしょう」と続けた。2002年にがんが見つかった時と違うのは、家族の存在だった。夜、当時1歳の長男(5)の顔を見るのがつらくなった。「この子の成長を、いつまで見続けられるだろう」。(11月11日 朝日新聞 患者を生きる 甲状腺と新薬より)
Dec 19, 2015 10:49

迷ったすえ切除を選んだ
愛知県一宮市に住む女性(44)は2002年、初めて受けた人間ドックでコレステロールの値が低いと指摘された。「コレステロール値って高いと良くないけれど、低いのも問題なのかしら?」。当時、31歳。東海地方の地方銀行で、総合職として働いていた。夜遅くまで働き、寝るためだけに帰宅するような毎日だった。ホルモンの分泌異常が疑われ、のどに超音波を当てて調べる検査を受けた。さらに三重県四日市市にある四日市社会保険病院(現・四日市羽津医療センター)で、のどに針を刺して採取した細胞を調べる検査を受けた。検査の結果、医師から告げられた。「甲状腺がんです」。甲状腺はのどにある臓器で、新陳代謝や成長にかかわるホルモンを分泌する。女性の場合、左側に1センチほどの腫瘍ができていた。「がん」という言葉に驚いたが、続く医師の言葉に戸惑った。「甲状腺がんの中でも、進行がゆっくりな乳頭がんというタイプです。手術をお勧めしますが、それほど緊急性はありません」。乳頭がんは甲状腺がんの85%を占める。進行が遅く、若い人ほど、経過がいいとされる。手術で腫瘍を取ればほとんどの場合、再発しない。腫瘍が1センチ以下なら取らずに経過をみることもある。迷ったすえ、「ずっとがんを持ったままでいるのは嫌なので、手術します」と答えた。手術では、甲状腺の約3分の2を切り取った。さらに、甲状腺の裏に四つある副甲状腺のうち二つを摘出した。手術後、首元に傷痕が残ったが、冬を迎える時期だったため、服で覆えばそれほど気にならなかった。ただ、摘出した甲状腺や副甲状腺の働きを補うため、毎日、複数の薬を飲むことになった。「これから一生、薬を飲み続けるなんて・・・」と感じる一方、早く治療を受けられて良かったという安心感も強かった。手術後は月1回通院し、血液検査でホルモンのバランスを確かめ、超音波検査で再発がないかどうか確かめた。検査の間隔は徐々にあき、がんを患ったことを振り返ることもほとんどなくなった。再び異変が起きたのは、その9年後だった。(11月10日 朝日新聞 患者を生きる 甲状腺と新薬より)

Dec 13, 2015 09:58

希少な症例 データ集約へ
胸腺は、左右の肺に囲まれた縦隔の一部で、胸骨の裏側あたりにある器官だ。子どもの頃は白血球の一種「Tリンパ球」を育てる機能があるが、徐々にその役割を終える。胸腺の細胞から発生する腫瘍がん「胸腺腫」で、腫瘍細胞が増殖するスピードは比較的遅い。国立がん研究センター中央病院呼吸器内科の後藤悌さん(38)によると、腫瘍が相当進行しない限り、症状が出ないことが多いという。胸腺腫は、患者数が極端に少ない「希少がん」の一つで、国内の患者は人口10万人あたり1人未満という推計もある。筋力が低下する「重症筋無力症」などの自己免疫疾患の合併症がみられることがある点も特徴だという。治療の基本は、腫瘍を含めて胸腺を切除する手術だ。名古屋市立大腫瘍・免疫外科の矢野智紀准教授(49)によると、患者の7割以上はステージ1、2の早期で見つかり、手術すれば治るケースが多いが、まれに再発する。従来は開胸による手術が主流だったが、最近は体への負担が少ない胸腔鏡を使った手術が増えているという。抗がん剤や放射線治療が行われる場合もあるが、症例数が少なく、標準的な治療法は確立されていない。患者数が多い病気に比べ、臨床試験が行なわれにくく、治療薬の開発も遅れている。こうした中、日本肺癌学会など関連4学会が、胸腺腫患者の症例を集めてデータベース化する取り組みを予定している。矢野さんは「まずはデータを集めて病気を知ることが大事。そこから治療法の確立につなげたい」と話す。厚生労働省も今年8月、希少がんに関する報告書をまとめ、情報集約や研究推進などの対策に乗り出した。一方、胸腺にできる腫瘍には、胸腺腫よりも希少な「胸腺がん」もある。細胞の増殖がより速く、ほかの臓器へも転移しやすい。連載で紹介した胸腺腫患者で、秋田県に住む近藤セツ子さん(60)らが先月立ち上げた胸腺腫・胸腺がんの患者会「ふたつば」では、患者同士の情報交換や悩みの共有を目指している。問合せは、メール(setuko3023819@yahoo.co.jp)で。(1月7日 朝日新聞 患者を生きる 胸腺腫情報編より)
Dec 09, 2015 08:54

患者だからできることを
秋田県湯沢市の近藤セツ子さん(60)は胸腺腫治療を始めてから4年目の2011年も、病状は一進一退だった。胸膜にがん細胞が散らばる播種は手術では取り切れない。ステロイドや抗がん剤などを使った治療を続けたが、腫瘍は小さくなったり、逆に大きくなったりした。悩んだ末に3月末、小学校の特別支援学級の教諭を、定年前に退職。治療に専念することにした。2012年春には骨盤に転移が発覚。秋には胸膜に新たな腫瘍が見つかった。ほかの治療の効果が見られず、進行を遅らせるために3度目の手術が決まった。「目が覚めなかったら、どうしよう」。回数を重ねても、手術への恐怖に慣れることはなかった。11月、腫瘍の一部を切除する手術を受けた。麻酔から目覚めた時、医師と看護師が話しているのが聞こえた。「あ、ちゃんと生きている」。そう実感した。「落ち込んで、黙って家にいてもそれまで。だったら、今の自分にできることをやっていこう」。病気に対して落ち込みがちだった気持が、変っていった。同じ頃、県内のがん患者の集いで、初めて胸腺の病気の患者に出会った。胸腺がんの女性で、胸腺腫とは進行度は異なるが、情報交換できる仲間ができたことがうれしかった。「患者の思いを伝えたい」と、闘病経験を話す機会も引き受けるようになった。一方、昨年も胸膜などにあらたな腫瘍が見つかり、いまも次の手術など治療を模索する。そんな中、今年新たな出会いがあった。湯沢市出身の山本ゆきさん(64)だ。山本さんの夫は胸腺がんと闘いながら国会議員として「がん対策基本法」の成立に尽力し、2007年に亡くなった孝史さん。夫の闘病中、山本さんも希少がんゆえの心細さを感じたという。「治療法が確立していないからこそ、悩みを共有したり、情報交換したりする場が必要だ」。先月下旬、胸腺腫・胸腺がんの患者会を立ち上げた。名前は「ふたつば」。右葉と左葉からなる胸腺。幸運を呼ぶとされる「四つ葉のクローバー」も意識した。「みんなが幸せに、自分らしく人生を歩んでいけるように」。そんな願いを込めている。(11月6日 朝日新聞 患者を生きる 胸腺腫より)
Dec 03, 2015 10:56

悩み学ぶ 主治医を信頼
胸腺腫が再発した秋田県湯沢市の元小学校教諭、近藤セツ子さん(60)は、2010年夏から抗がん剤治療を受けた。しかし、胸膜に散らばった腫瘍への治療効果はほとんど確認できなかった。「このままで、いいのかな」。迷いも生まれていた。その頃、平鹿総合病院(同県横手市)の主治医、斉藤礼次郎さん(56)から、「別の病院にも、話を聞きに行ってみませんか」と、セカンドオピニオンを受けることを勧められた。斉藤さんは肺や食道専門の胸部外科医だが、患者数が極めて少ない希少がんである胸腺腫の患者は、年に数人担当する程度。胸腺腫の中でも近藤さんのように再発する患者自体が少なく、斉藤さん自身も症例数が比較的多い病院の医師の意見を聞いてみたかった。肺がんなど患者数が多いがんなら標準的な治療がガイドラインとして示されている場合が多い。だが、近藤さんのように希少がん患者の場合は、選択した治療が正しいのか判断する物差しが少ない。文献を探し、学会で同じような症例が取り上げられる時には足を運び、情報収集に取り組んでいた。セカンドオピニオンは、東京都内の症例数が比較的多い病院に聞きに行くことになった。「良い治療法が見つかれば、秋田から通うか、アパートでも借りて東京に住むことを考えよう」。対応した医師からは、いくつもの治療方針が示された。抗がん剤治療を続けるか、腫瘍が大きくなったら放射線治療をするか、しばらく経過観察をするか・・・・。「絶対的な治療法は、ここにもないんだ」。近藤さんはそれまで、症例数が少ない病院で治療を受けることに不安もあった。だが、どこであっても、いくつかの選択肢の中から主治医と相談しながら、治療を受けるしかないようだ。「悩みに悩んで、今もまだ悩んでいる。お互い一緒に勉強しているようなものです」と斉藤さん。近藤さんは、治療への迷いも含めて正直に話してくれる際等さんに、信頼を感じていた。現実的には、高齢の夫の両親もいる家を離れて治療を受けることも難しい。地元で治療を続ける決意が固まった。(11月5日 朝日新聞 患者を生きる 胸腺腫より)
Dec 02, 2015 08:34


▲このページの上に戻る

カレンダー

2018年7月
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

アフラック がん保険
e保険Shop-blogカテゴリ

エントリー

リスト

資料請求
各種手続き
お電話番号は0120-888-685
アフラック募集代理店
ライフ・ケア有限会社
〒815-0042
福岡市南区若久4-24-18
TEL 092-405-1301
FAX 092-405-1302

<引受保険会社>
アフラック福岡総合支社
〒812-0018
福岡市博多区住吉1-2-25
キャナルシティ・ビジネスセンタービル10F
TEL 092-281-6716
FAX 092-281-7360
プライバシーポリシーサイトマップ勧誘方針
Copyright(C)2005 Life Care Inc, All Rights Reserved.アフラック がん保険