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画面の向こうの「仲間」
左肩のほくろが皮膚がんの一種、メラノーマ(悪性黒色腫)の可能性があると指摘された東京都の徳永寛子さん(33)は、2012年5月、国立がん研究センター中央病院を初めて訪れた。朝からたくさんの人が診察を待っていた。多くは自分の父母より年上の人たちだった。ほくろ以外には気になる体の不調は何もない。「私はどうして、ここにいるんだろう」。診察した皮膚腫瘍科長の山崎直也さん(55)によれば徳永さんのほくろは典型的なメラノーマだった。しかも、形から見て、すでに早期ではない可能性もあった。メラノーマは皮膚の中にあるメラニン細胞やほくろの細胞ががんになる病気だ。山崎さんは、全身麻酔による手術できっちり取り切るのが大切なこと、皮膚の下を走るリンパ節を通じて、ほかの部分に転移していないか調べる検査が必要なことなどを説明した。そして最後に声をかけた。「不安なことや疑問があれば、予約が入っていなくても、いつでも話を聞くからね」。手術は6月上旬に決まった。それまでに、血液検査やCT撮影、超音波検査などを受けた。体が全身麻酔の手術に耐えられるかや転移の有無を調べるためだ。家に戻ってネットで改めて「メラノーマ」について調べてみた。「患者は10万人に1、2人の非常にまれながん」「悪性度が高く、予後が悪い」。厳しい言葉が目についた。患者の闘病ブログが途中で途絶えていたり、家族が「本人は亡くなりました」と書き込んだりしたものを見ると、「私も、死ぬのかな」と涙がこぼれた。27歳で結婚、当時まだ3年目だった。夫や友人、職場の仲間に恵まれ、いつも誰かと一緒だった。想像したこともなかった「死」が身近なものに感じられた。恐ろしいほどの孤独感に襲われた。不安にかられるたび、メラノーマについて山崎さんが解説をするネットの動画を繰り返し見た。そして、画面脇の「視聴回数」が、何百回をカウントされていることに気づいた。画面の向こうに、自分と同じように不安を感じてパソコンに向かう仲間の存在を感じた。(7月15日 朝日新聞 患者を生きる マラノーマより)
Jul 31, 2015 11:12

ほくろ取ろうと皮膚科へ
東京都内に住むグラフィックデザイナーの徳永寛子さん(33)の左肩には、大きなほくろがあった。「形が変で気持ち悪いから、取ってもらいなよ」。薄着をする季節になると、夫(43)からたびたび言われた。ほくろは20歳を過ぎたころからあったと思う。でも、鏡越しでないと見えないし、痛くもかゆくもない。それほど気にしていなかった。直径約1センチ。輪郭はいびつで、アメーバのようだった。2012年4月、軽い気持で自宅近くの皮膚科を受診した。医師はほくろを見ると「メラノーマ(悪性黒色腫)かもしれません」と言って、総合病院への紹介状を書いてくれた。数日後、近くの総合病院の皮膚科を受診した。医師が何人も入れ替わりやってきた。ほくろを見るたびに「あっ」とか「わー」と漏らすのが気になった。「あそらくメラノーマだと思います。切除はできますが、体の別の部位から皮膚を移植する必要があります」と告げられた。「皮膚を移植するために、余計な傷をつくるなんて・・・・」。メラノーマという耳慣れない言葉より、皮膚移植が気がかりだった。病院を出ると、すぐに実家の母(60)に電話した。「ほかの病院で診てもらわなくていいの?」。母から言われてハッとした。ほくろを見るなり声を出し、珍しそうに診察する医師の態度に違和感があった。総合病院に行った2日後、メラノーマに詳しい病院としてネットに出ていた中央区の石原診療所(現・かちどき皮膚科クリニック)を訪れた。診察したのは野呂佐知子医師。国立がん研究センター(東京都中央区)に勤務したことがある。ひと目見てメラノーマだと確信した。不安で涙を浮かべる徳永さんに、ゆっくり話した。「メラノーマの治療は適切に取ることが大切です。がんセンターを紹介するので、安心して任せていいですよ」。野呂医師はその場でがんセンターの医師に電話をしてくれた。紹介先を聞いて、徳永さんは改めて気づいた。「やっぱりがんなんだ。皮膚の移植が嫌だとか、言っている場合じゃないな」。(7月14日 朝日新聞 患者を生きる メラノーマより)
Jul 28, 2015 08:03

眠ったままの遺書
●助けられた命、前向きに 15年前、肺がんと診断されました。母ががんで亡くなっており、「私もいつか」と覚悟はしていました。そのためか、告知を受けた時も、それほど大きなショックを受けることはありませんでした。幸い経験豊かな医師が近くの病院に転勤して来ていました。7時間に及ぶ胸腔鏡手術を受け、転移もなく、10日余りで退院しました。もしもの時のために手術前に書いた遺書は、15年間眠ったままです。手術後、医学によって助けていただいた私にできることはないかと考え、夫とともに献体の登録をしました。昔のように「がんイコール死」ではありません。医学は日々進歩しています。何か異常があったら早く検査を受けてください。がんになっても生きている人はたくさんいるのです。私も、助けられた命を大切に、前向きに楽しく生きていきたいと思っています。(茨城県 高橋睦子 78歳) ●がん治療に貢献したい 私は浪人生です。将来、がん治療の発展に貢献したいと考えています。だから、大学ではがんの研究をしたいです。がんに興味を持ったのは、高校の宿題で、中性子線治療でがんを治す記事について調べたからでした。医療技術が発達していると言われているのに、がんについてわかっていないことがたくさんある現実に驚きました。中学生の時に読んだ、がんの闘病生活がつづられた本のことも思い出し、がんを解明したいと思うようになりました。私は大きな病気にかかったこともなく、闘病生活のつらさを知りません。患者さんの苦しみはわからないかも知れませんが、もっと体の負担を和らげる治療法の開発や、がんになる原因、メカニズムの解明ならできるはずです。世界でがん治療の発展を待っている人たちのためにも、私はそういう仕事をしたい。だから次こそ、志望校に合格してみせます。神奈川県 女性 18歳。 (7月11日 朝日新聞 患者を生きる 読者編より)
Jul 26, 2015 08:08

排便の感覚 戻らない
●ストーマ閉鎖後の苦しみ 直腸がんで4年前に肛門を温存する手術を受けました。一時的に設けたストーマを閉じる予定だった3カ月後、腹膜炎を起こして緊急手術を受けました。装着がさらに8カ月延びました。今でも、ストーマ閉鎖後の後遺症に苦しんでいます。自分の肛門でも、便の出る感覚や便意が感じられないので、服や部屋が汚れてしまうことがあります。掃除にも時間がかかり、1日の大半を排便関係に費やしています。人前で出てしまうことがあり、運動をしなければと思いながら、ウオーキングにも出られない状態です。仕事も再開できていません。主治医からは、どうしても外出が必要な時には下痢止めを、反対に便秘になった痔には便秘薬を使うよう言われていますが、うまくいきません。今も紙おむつをしています。紙おむつやパッドの代金も大変です。(京都府 女性 55歳) ●2時間トイレ離れられず 年9月、人間ドックの便潜血検査で陽性反応が出ました。11月に病院で内視鏡検査を受け、直腸のポリープを切除しました。病理検査の結果は悪性でした。11月に腹腔鏡手術を受けました。6時間超かかりました。人工肛門の可能性も言われていましたが、肛門部は温存できました。手術の結果、がんの進行度は「ステージ1」でした。一時的にストーマを設置し、今年3月にストーマを閉じました。事前に説明されていた通り、手術後に頻便の症状が出るようになりました。便意を感じてから10秒もたたないこともあります。ひどい時は2時間近くトイレに座り続けることになります。それも昼夜を問いません。2カ月が過ぎて多少要領を得てきたものの、コントロールのきかない状態が続いています。気分が落ち込むこともありますが、「半年もたてば落ち着く」という医師のの言葉を頼りに、楽しい計画を立てて心待ちにしています。(静岡県 塚本和雄 65歳) 7月10日 朝日新聞 患者を生きる 読者編より
Jul 25, 2015 08:11

「痔のせい」決めつけ反省
●勝手な自己判断を反省 60歳過ぎ、健康診断の便潜血検査で血が混じっているのが見つかりました。しかし、痔のせいだと勝手に判断し、精密検査は受けませんでした。4年後に受けた健康診断でも異常が見つかり、精密検査の結果、大腸がんと診断されました。病院勤務の友人と相談し、インターネットで調べ、腹腔鏡手術がよいと思いました。実施数が多い病院を選び、手術を受けました。「医者でもないのに都合のよい自己判断はしない」と反省しました。フルタイムで働いている人は、休むと仕事に支障が出ると考えるでしょうが、検査で異常が見つかったら、会社と相談して治療に専念してください。病気に向き合い、納得できる病院を選ぶことが大切だと実感しました。病院の情報はネットで検索できます。セカンドオピニオンは定着してきているので、診てもらっている病院に遠慮せず、利用してみるのもよいと思います。(東京都 永田昇 67歳) ●便潜血検査、正しい理解を 30年近く消化器疾患の異常を診療している医師です。大腸がん検診の便潜血検査について、注意してほしいことがあります。一つは、2日分の便の一部を採取する潜血検査の2日法で、「2回のうち1回が陰性なら問題ない」と誤解をしている人が非常に多い点です。2回採取するのは、便の採取法によって潜血反応が出ないことがあるためで、1回でも陽性なら便潜血検査を改めてするのではなく、内視鏡検査などの精密検査を受けることが重要です。二つ目は、痔になったことがあると、便潜血が陽性で
も「痔のせいだ」と決め込み、精密検査を受けない方は非常に多い点です。痔とともに大腸にポリープや腫瘍のある人たちがいます。痔のせいにして放置し、発見された時には進行した大腸がんになっているケースも数多く経験しています。検査の際は、「便の5、6カ所の表面を広くこすって採取する」「暑い時期は提出まで冷暗所に保管する」などの注意点もあります。(兵庫県 宮田健一 55歳)
7月9日 朝日新聞 患者を生きる より)
Jul 20, 2015 08:32

平静装った つらかった
今回はタレントの原千晶さん(41)のように、子宮の病気になった女性からの声を紹介します。●「なぜ?」と動転 2月に「子宮内膜増殖症」と診断されました。がん化のリスクが高い型のため、翌月に腹腔鏡手術で子宮と卵巣・卵管を摘出、骨盤内リンパ節を切除し、検査も受けました。更年期だったので子宮の摘出に迷いはありませんでしたが、「今まで健康だった私が?」と気が動転しました。初めての手術に緊張と不安を感じました。それでも家族、特に高齢の親には心配をかけたくなくて、平静を装っているのがつらかったです。検査の結果、がんではなく、治療は終わりました。術後の経過も順調です。がんという病名が我が身に降りかかった時の恐怖や、検査結果を待つ間の不安は、とても大きいものでした。励ますつもりで言ってもらったひと言に傷つくこともありました。以前と比べ「がん」や「死」という言葉に敏感になりました。医療記事も真剣に読むようになりました。これからは、自分の体としっかり向き合っていきたいと思います。(京都府 女性 55歳) ●かわいそうと思われたくない 子宮体がんと診断され、2006年に子宮と卵巣を全摘しました。手術前の約1年間は、ほかの治療法がないか模索し、月1回の通院で経過を観察していました。予約をしても診察まで2,3時間待ちは当たり前で、診察結果は「変化なし」ということを繰り返し経験しました。原千晶さんも、月1回の検査を2年間続け、足が遠のいたとありましたが、病院に行くのが面倒になることや、「行かなくても大丈夫」という希望を抱いてしまうことは仕方がないと思います。手術当日、病室から手術室まで歩いている時、「走って逃げたい」という衝動に駆られました。体に傷をつける恐怖と、もしかしたらがんではないのではないかという希望が入り乱れました。がんだったことは、家族とわずかな親類にまでしか話していません。「がんになってかわいそう」という目で見られるのが嫌なのです。(群馬県 女性 48歳) 7月8日 朝日新聞 患者を生きる より
Jul 19, 2015 08:21

「切除前の化学療法」期待
世界の胃がん患者数は中国が約4割、日本が1割を占め、東アジア全体で約6割を占める。欧米は少なく、先進国では日本は突出して多い。胃がんのリスクを高めるピロリ菌の感染率が高いこと、塩分の多い食生活や喫煙習慣などが影響していると見られる。胃がんの初期症状には、胃の痛みや不快感、胸焼け、体重減少などがある。異変を感じたら、医療機関で検診を受けることが重要だ。胃がんは早く見つけて切除すれば治りやすいがんだ。がん治療の効果は、患者が治療5年後に生存している割合と日本人全体が5年後に生存している割合の比率「5年相対生存率」で表される。国立がん研究センターのまとめでは、転移などがなく、がんが胃だけにとどまっていれば、5年相対生存率は96%と高率だ。また、胃がんの約65%が早期の1期に見つかっている。1期までに見つかるケースが3,4割の大腸、肝臓、肺などのがんに比べて、胃がんは早期発見されることが多い。しかし、胃壁の表面にある粘膜にあまり出てこないため、発見が難しいタイプの胃がんもある。発見が遅れて遠くの臓器などに転移した場合や再発した場合、切除しても取り切れず、すぐ再発するなど、手術がかえって患者の不利益になることもある。それらの場合、手術しないのが標準的だ。手術不能な胃がんについては、1990年代に欧米で行われた比較試験で、抗がん剤を使うと生存率が大きく高まることが示された。日本の医療機関は胃がんの手術経験が豊富で、化学療法と組み合わせた治療も進んでいる。連載で紹介した女性(74)は、胃を全摘する手術のあとに1年間、化学療法を受けた。再発率を下げる効果があり、進行した胃がんの標準治療になっている。一方、女性が受けた「手術前の化学療法」は、有望な治療法として期待されるものの、効果があるかどうかの検証はこれからという。近年は、切除不能とされた場合でも、抗がん剤が非常によく効いてがんが小さくなり、治療を手術に切り替える「コンバージョン(変換)治療」も試みられている。(7月4日 朝日新聞 患者を生きる より)
Jul 12, 2015 10:42

5年再発なく「卒業式」
5年前に進行した胃がんの手術を受けた広島県の女性(74)は今年6月、夫(75)と一緒に広島市民病院を訪れた。手術からちょうど5年を過ぎて受けたCTや血液の検査結果を、主治医の二宮基樹副院長(64)から聞くためだ。胃がんは5年間再発がなければ、その後の再発はまれとされる。女性はほぼ完治したと考えられ、この日が一連の治療からの「卒業式」となった。診察室に入ると、二宮医師は「よかった」と声をかけた。「骨の中まで調べましたが、どこにもがんは見つかりません」。腎機能、肝機能などの数値も正常だった。「あれほど抗がん剤を使ったのに腎臓も肝臓もダメージを受けていない。この数値は驚異的です。私のほうが悪いくらいだ」。二宮さんは女性に笑顔で語りかけた。5年前、女性のがんは、手術できるかできないかの瀬戸際まで進行していた。二宮さんからは手術前、「がんの状態によっては、切除不能の可能性もある」との説明を受けていた。しかし、女性も夫も、そのことを覚えていない。「早く切ってもらおうという一心だったので」と夫が言うと、「2人とも能天気な夫婦なんで」と女性が続ける。「不思議と、くよくよ悩む患者さんよりも、前向きな患者さんのほうが治りがいいんです」と二宮さんが応じた。「あれほどの胃がんから生還されたという事実は、我々医者にも勇気を与えてくれます」。最初に女性の異変を見つけた開業医に夫が最近会った際、その医師から「実はもって半年か1年と思っていた」と打ち明けられた。女性は「すごい大変なことだったんだと今さら思います。5年間は転移の心配とか無頓着に過ごしたのがよかったのかも」という。手術後にいったん10キロ減った体重は、ようやく8キロほど戻った。「今でも茶わん一杯のごはんでも、一度に食べられません」。昨夏、夫婦は県内随一の桜の名所に引っ越した。夫の胃がんのことは、周りの人には話していなかった。花見の時期に立ち寄ってくれた知人たちには、「いまちょっと留守なんです」とだけ話し、不義理をしてしまっていた。「来年は、みんなで花見を楽しみたいと思います」。(7月3日 朝日新聞 患者を生きる より)
Jul 12, 2015 10:15

「まさか主人まで」
進行した胃がんが見つかり、2010年5月に胃の全摘手術を受けた広島県の女性(74)は手術後、極端に食が細くなった。普通なら退院のめどとなる2週間がたっても、食べられるのは「五分かゆ」がやっとだった。退院したのは手術から3週間たった6月上旬。食欲が出ず、からしなど刺激のあるものや天ぷらなど油の多いものは食べられない。市販のパンも食べられなかった。「においが気になったから」という。パンが食べたいときはお店で焼いた菓子パンを買ってきた。それも一度には食べられなかった。菓子やスナック類をいつも持ち歩き、朝食と昼食、昼食と夕食の間に少しずつ食べた。2011年の夏。農作業をして雨に当たったあと、胸から脇腹にかけて痛みを感じた。4、5日たっても治らず、女性は近くの病院に行った。熱は39度もあり、肺炎を起こしていた。結局9日間入院した。「大手術の後は体が弱っているから、お決まりのコース」と医師から聞いた。「がんでは痛みを感じたことがなかったので、関係があると全然思わなかったんです」。それからは、雨が降ってきたらすぐ家に入るなど気をつけるようになった。一方、主治医の二宮基樹・広島市民病院副院長(64)は、「女性のがんは再発の可能性が低くない」と心配していた。手術で取ったリンパ節を包む脂肪組織の中からも、がん細胞が見つかっていたからだ。しかし、3カ月ごと、半年ごとの検査でも、心配された再発は、見つからなかった。昨年7月、女性は広島市内から夫の故郷・安芸高田市に引っ越した。自宅は、約6千本の桜で有名なダム湖のほとりにある。手術から5年目を迎え、花見を楽しみにしていた今年2月。今度は、6年ぶりに胃カメラの検査を受けた女性の夫(75)に、早期の胃がんが見つかった。「まさか主人まで。自分の時よりショックでした」。女性の夫は4月、広島市民病院で胃の3分の2を取る手術を受けた。経過は順調で夫は退院した日に「肉が食べたい」と言った。「私も胃がんで、とても苦労しているのをそばでずっと見ていたので、『自分は大したことない』と思えたんじゃないでしょうか」。(7月2日 朝日新聞 患者を生きる より)


Jul 12, 2015 09:47

即入院 急展開に戸惑い
●働き盛りに発病 15年前、36歳のときに診断されました。教師として働き盛りで忙しい毎日。疲れやすさを感じていましたが、気に留めていませんでした。しかし、階段を上るのにも息切れするようになり、病院を受診。精密検査の結果、即入院するよう告げられました。病床で死と向き合うことになり、急展開に戸惑うばかりでした。抗がん剤治療を受けながら、骨髄移植の道を探りました。臍帯血移植という治療法があることを家族が調べてくれ、希望を託して転院しました。翌月に移植を受けました。経過は順調で、今日まで元気に過ごしています。なぜ発病したか原因が分からないので、「事故のようなもの。あきらめるしかない」と思われた大塚さんと同感です。今後もいつ、別の病気や思わぬ事故といった事態に遭遇するかはわかりません。覚悟しているつもりでも動揺すると思います。今から思い悩まず、そのときに考えようと思います。(群馬県 大島昭彦 51歳) ●血液検査がきっかけ 昨年8月、持病で2カ月に1度通院している病院で受けた血液検査で異常が見つかり、診断されました。入院後、ステロイド剤と抗がん剤の内服治療を受けました。自覚症状はなく、3度の食事は完食できました。自分の置かれた状態を認識するのは、無菌室治療という外的条件からだけでした。骨髄液採取と、脊髄注射による抗がん剤の注入は緊張しましたが、麻酔が効いて痛みはありませんでした。発見が早かったことと適切な治療のおかげで2カ月後に退院。2週間に1度通院し、抗がん剤を飲んでいます。味覚障害や手足のしびれはありますが、血液検査では正常に近い値を維持しています。今まで体が人一倍丈夫で、他人を思いやる気持が足りなかったと感じました。感謝の気持も素直に表すように心がけています。(神奈川県 沓掛文哉 77歳)
Jul 11, 2015 07:38

「ころっと取れたよ」
2009年秋に進行した胃がんと診断された広島県の女性(74)は、検査の結果、がんが膵臓にくっついたり、まわりに広がったりしている可能性が指摘された。「手術をする前にまず、がんを固める治療をします」。広島市民病院外科の二宮基樹医師(64)から説明を受け、女性は「がんを小さくするという意味なんだ」と受け止めた。11月下旬から、抗がん剤でがんを徹底的にたたく化学療法を受け始めた。飲み薬を2週間続け、途中1日点滴をする。胃がんで標準的な組み合わせの抗がん剤が使われた。その後、2週間薬を休み、同じ組み合わせをもう一度繰り返した。翌年2月上旬から点滴薬を変え、4月までさらに3回、化学療法を繰り返した。点滴をすると、胸がむかついて食べられない。薬を変えてからは髪が少し抜けた。「自分もあんな風になるのかなあ」。かつらを使っているほかの入院患者を見てそう思った。ただ、そこまでにはならなかったので「つらいけど、自分の副作用は軽いのかもしれない」と思い直した。5カ月に及ぶ化学療法の間、悲観的な気分にはならなかったが、もしもの時の覚悟は決めた。これまで一人でやっていた通帳や家計の管理などを、夫(75)に伝える準備を始めた。タンスを整理して県内に住む長女(47)のへその緒と母子手帳を本人に渡した。手術は5月10日。約5時間かかった。がんは胃壁を突き抜けて外側に露出している状態だった。もしも、がん細胞が胃の外の腹膜などにちらばっていたら、手術はできなかった。幸いなことに、女性のがんは胃壁は破ってはいたものの、胃の下にある小さな袋にとどまっていた。手術では、胃の周りのリンパ節や周囲の主要な血管のリンパ節を、包んでいる脂肪組織ごと、はがし、胃や脾臓を摘出した。長女らは、医師から摘出されたがんを見せてもらった。手術の翌日、女性に「こんな大きながんがころっと取れたよ」と手振りを交えて伝えた。がんは両方手のひらいっぱいの大きさだという。女性は「よかった。膵臓への癒着はなかったんだ」と一安心した。(7月1日 朝日新聞 患者を生きる より)
Jul 09, 2015 07:34

胃壁を付き抜け進行
広島県の女性(74)は2009年秋、健康診断の結果について近所の開業医から説明を受けた。「貧血があり、胃から腸から、出血していると考えられます。専門医を受診してください」。10月、広島市内の河村内科消化器クリニックへ行った。胃カメラの検査が終わり、診察室で河村譲理事長(71)に告げられた。「これはがんじゃけえ、全摘じゃあ」。全部取ることになる胃の画像を、女性は夫(75)とパシコンの画面で見た。「胃全体が白っぽくなっているように見えました」。夫が「先生、この白いのは何ですか」とたずねると、河村さんは答えた。「これががんよ」。夏ごろから、食事のあとに、胃が「ドボン、ドボン」とする感じがしていた。食べ終わるとつらくなり、横になっていた。だが、重い病気とは認識していなかった。父親も胃がんで手術を受けていた。「5人きょうだいの中で、自分だけが受け継いだのか」と思った。ただ、不思議と悲観的な気分にはならなかった。「なってしまったもはしょうがない」。河村さんの説明に納得できたので、涙は出なかった。ただちに、広島市民病院外科の二宮基樹医師(64)を紹介された。夫は二宮さんに「早く手術してください」と訴えた。「すぐに手術すればいいというものではありません。まずは検査をしないと」と二宮さん。女性はCTや血液などの精密検査を受けた。がんは胃の出口に近いところに広がっていた。胃の表面にできたがんが胃壁を突き抜けて外に広がっており、ステージ3から4の胃がんと考えられた。手術は11月の予定だった。だが、予定日の数日前に改めて撮ったCT画像を見た二宮さんらが院内で協議の末、手術を延期することを決めた。以前の画像と違い、広がったがんが膵臓にくっついている可能性が疑われたからだ。女性は近所の人との井戸端会議で」胃がんは治りやすいが、膵臓へひろがったら大変」という話を聞いていた。「膵臓」という言葉に、最初に胃がんと言われたときよりも強い衝撃を受けた。(6月30日 朝日新聞 患者を生きる より)
Jul 05, 2015 11:26


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