けいれんが止まらない
東京都内に住むピアノ教師の女性(54)は2009年9月の連休中、寝室でベッドから起き上がるとき、足元がふらついた。目の奥から首筋にかけて、鈍い痛みも感じた。「いつもの頭痛だろう。レモンティーでも入れようか」。居間に行き、上の棚に手を伸ばしたとたん、突然目がくらみ、意識が遠のいた。手を伸ばしたまま、瞬きもできず、ふらふらと体が回り出した。たまたま、そばにいた母親(82)が女性を抱きかかえ、じゅうたんの上に寝かせた。体全体がけいれんし始め、止まらない。母親の知らせを聞いて駆けつけた隣人の女性が励ました。「大丈夫よ!」その声で、一時的に意識が戻った。「ショートパンツをはいていて恥ずかしい」真っ先にそんな事を思うと、隣人の女性が足にタオルをかけてくれた。母が呼んだ救急車が到着し、隊員から瞳にペンライトの光を当てられたのを覚えている。ただ、自分の置かれた状況がよくわからず、「どうして、こんな大げさなことになっているのだろう」と不思議に感じた。「お騒がわせしてすみません。もう大丈夫ですからお引き取りください」。救急隊員にそう話した。近くの総合病院に運ばれ、救急救命室で、夫(57)が医師からCT検査の結果を聞いた。「脳内に出血した跡はありませんが、前頭葉に腫瘍のようなものがみられます。休みが明けたら、MRIで詳しく検査しましょう」。入院して4日目にMRIなどの検査を受け、翌日、結果を知らされた。医師によると、腫瘍は右前頭葉にあり、「グリオーマ」という種類と考えられるとのことだった。がん検診でポリープが見つかったこともあった。「覚悟はしていたけど、40代でなるのは、ちょっと早いな」と思った。以前からほとんど毎晩、金縛りにあったかのように体が硬直したり、手の力が抜けて鉛筆や食器を落としたりしていた。だいぶ前から、小さな発作が起きていたかもしれない。「もっと早く、検査を受ければよかった」。そう後悔した。(9月15日 朝日新聞 患者を生きる 脳の機能を残すより)
幅広い治療法 相談を
前立腺は、栗の実のような形をした臓器で、男性の精液の一部を作る働きがある。前立腺がんは加齢とともに増え、特に65歳以上で目立つ。2011年に新たに診断された患者は全国推計で7万人を超え、男性のがんでは、胃がんに次いで多い。尿が出にくいといった症状で気付くこともあるが、自覚症状がないことも多い。人間ドックなどの血液検査でPSAの値が高いことがわかり、治療のきっかけになるケースもたくさんある。国立がん研究センター東病院の酒井康之医長(46)は「治療は選択肢が幅広く、主治医とよく相談して、自分に合った治療法を納得して選んで欲しい」と話す。連載で紹介した荒井治明さん(73)の場合、放射線治療なども検討することができたが、本人の希望で手術を選択した。手術の対象になるのは、がんが前立腺内にとどまり、おおむね75歳以下の人。ほかに重い病気があるなど全身状態が悪い場合は対象にならない。また、手術後には一時的に尿失禁が起こりやすく、神経を温存しない場合は勃起不全になるといった側面もある。ロボット手術や腹腔鏡手術は、開腹手術に比べて出血が少ないなどの利点がある。荒井さんが受けた手術支援ロボット「ダビンチ」による前立腺がんの手術は、2012年には保険適用になった。ダビンチは2014年度、国内で8千件以上の前立腺手術に使われた。放射線治療には、体の外から放射線を当てる「外照射法」と、小さなカプセル状にした放射性物質を体内に埋め込む「小線源治療」とがある。手術や手術に伴う尿失禁などの合併症を避けたい人に向いており、手術時の全身麻酔のリスクが高いと判断された人も対象となる。ただし、副作用として直腸炎などが起こることもある。このほか、前立腺がんを進行させる男性ホルモンを薬で抑える「ホルモン療法」や抗がん剤による「化学療法」も、病気の進行状態などに応じて選ばれる。すぐ治療をしなくても余命に影響がないと判断される場合などには、血液中のPSAの値を定期的に測定する{PSA監視療法」が選択されることもある。(9月12日 朝日新聞 患者を生きる 前立腺の手術 情報編より)
摘出成功、順調に回復
前立腺がんが見つかった千葉県流山市の荒井治明さん(73)は2014年10月下旬、前立腺を摘出する「ロボット手術」を受けることになった。手術ロボット「ダビンチ」を使った前立腺の手術は、その2年前に保険適用になっていた。腹部に小さな穴をあけ、そこからかん子やカメラを入れて行う。開腹手術に比べてt出血量が少なくて済むのが特徴だ。国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)の酒井康之医長(46)は手術法の説明のあと、「状況によっては途中で開腹手術に切り替えることもあります」と付け加えた。手術室には、酒井さんや麻酔科の医師、看護師ら6人が入った。手術代の脇にある操縦席に座った酒井さんが、立体画像を見ながら遠隔操作で切除や縫合を行った。前立腺と周辺のリンパ節を切除し、手術は約4時間で無事に終わった。手術から1週間後には、尿を体外に出すため尿道に入れていた管を抜くことができた。順調に回復し、11月上旬に退院することができた。ただ、手術の影響で、荒井さんはその後、尿漏れに悩まされた。「椅子から立ち上がろうとしただけでチョロっと出る。介護用の紙パンツをはいてしのぎました」。退院から2週間後、改めて手術結果の説明を受けた。がんは前立腺内にとどなっており、周辺のリンパ節への転移はなかった。尿漏れの症状は続いたが、この頃には紙パンツではなく、尿漏れパッドで済むようになっていた。尿漏れについて酒井さんは「日がたつにつれて、だんだん良くなりますよ」と励ました。荒井さんはいま、柏市内の会社で週3日ほどパート勤務を続けながら、毎日家庭菜園に通い、野菜作りを楽しんでいる。これからの季節は、サツマイモや長ネギ、大根などの収穫が楽しみだ。「もしまた何かの病気になっても、くよくよせずに早めに治療を受けたい。これからも体力が続く限り、野菜作りを続けますよ」。(9月11日 朝日新聞 患者を生きる 前立腺の手術より)
ロボット手術を選択
千葉県流山市の荒井治明さん(73)は2014年8月、前立腺の組織を取る検査で、がん細胞が見つかった。地元の東葛病院で検査を担当した泌尿器科の小澤雅史科長(48)は、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)に紹介状を書いてくれた。9月中旬、荒井さんは妻の多恵子さん(71)と一緒に、泌尿器・後腹膜腫瘍科の酒井康之医長(46)を訪ねた。荒井さんの前立腺がんは転移がなかった。転移のない前立腺がんは通常、PSAの値やがん組織の悪性度などからリスク評価をして治療方針を決める。荒井さんはリスク評価で「低」と「高」の間の「中間リスク」と診断された。「手術のほか、放射線照射などが治療の選択肢になるでしょう」。酒井さんはそう説明した。荒井さんは「手術できるなら、手術で」と希望を伝えた。過去に胃がんで2度の手術をした経験から、「がんは早く見つけて手術できれば、怖くない」という思いがあった。10月初旬、再度の外来で、酒井さんは手術や放射線など、様々な治療法の長所や短所について説明したあと、こう付け加えた。「手術の場合、最近はロボット手術というものがあって、この病院でも受けることができますよ」。昔はロボットと言えば「鉄腕アトム」だった。「ロボット手術」というものが日本でも行われていることは、テレビで見て知っていたが、まさか自分が受けることになるとは思わなかった。知り合いに聞いても手術を受けた経験者はいなかったが、腹を決めた。「ロボットといったって、動かしているのは人間。ロボットが勝手に判断して手術を進めてしまうわけではないし・・・」。そう自分を納得させた。1週間後の外来で、酒井さんは荒井さんに治療方法の希望について改めて確認した。「ロボットを使った手術になると思いますが、そのままの方法で良いですか」。荒井さんは迷うことなく、「お願いします」と答えた。10月22日に入院。手術ロボットを使った前立腺の摘出手術を24日に受けることになった。(9月10日 朝日新聞 患者を生きる 前立腺の手術より)、
針で組織取り確定診断
前立腺の肥大を検査で指摘された千葉県流山市の荒井治明さん(73)は2011年2月ごろから、尿の出が悪いことに悩むようになった。「尿が細くなって、力を入れてもいっぺんに出にくくなりました」。トイレに行ってもすっきりした気分にならず、再びトイレへ。尿の回数が増え、残尿感が気になるようになった。「やっぱり前立腺の肥大が進行しているのかな」。不安な日々を過ごすようになった。尿の出が悪くなったのと同じ頃、便秘の症状も出るようになった。東葛病院(千葉県流山市)で、便秘薬を処方され、飲み始めた。血液中のPSA(前立腺特異抗原)の値はさらに上昇し、2012年10月には10.46になった。前立腺肥大症の治療薬を処方されて飲んだが、PSAの値は6を超す状態が続いた。がんの可能性がさらに高まり、2014年8月下旬、東葛病院に1泊2日入院して、前立腺の組織を調べる検査を受けることになった。下半身の麻酔をし、仰向けになって両足を高く上げた。その状態で、前立腺に針を計16カ所差し込んで組織を採取した。麻酔のおかげで痛みは感じなかったが、組織を取る器具の音は聞こえた。「針で組織を取るたびにバチンという音が響いた。あまり気持のよいものではありませんね」。検査の結果、前立腺の16カ所から採取した組織のうち、3カ所からがんが見つかった。事前のMRI検査で、白く写っていた場所だった。「やっぱり、がんでした」。泌尿器科の小澤雅史科長(48)は、栗の実のような前立腺のイラストをボールペンで描きながら、がん細胞が見つかった位置を荒井さんに説明した。がんになったのは初めてではない。この年の1月、再発した胃がんの切除手術を受けたばかりで、早期の発見と治療の大切さが身にしみていた。荒井さんは小澤さんに強い希望を伝えた。「がんと分かった以上は、一刻も早く治療を受けたい」。(9月9日 朝日新聞 患者を生きる 前立腺の手術より)
検査のたびに数値悪化
日曜日の午後、千葉県流山市の自宅でくつろいでいた荒井治明さん(73)は、腰に重い痛みを感じた。2008年8月のことだった。ひと晩我慢したが、強い痛みが消えない。翌日、自宅から車で10分ほどの市内にある東葛病院を受診した。CT検査の結果は「尿路結石」。腎臓に結石ができ、そのせいで痛みが起きていた。ただ、泌尿器科の小澤雅史科長(48)の診察を受けているうちに不思議と症状が消え、その後は痛まなくなった。苦痛から開放され、ホッとひと安心した荒井さんに、小澤さんが声をかけた。「PSA(前立腺特異抗原)の検査も、受けていきませんか」。PSAは、前立腺がんになると血液中の濃度が上昇する物質で、早期発見に役立つ。50歳を過ぎた男性には、一度受けるようすすめているという。荒井さんはそれまでに一度も、受けたことがなかった。「せっかくの機会だから、念のために受けてみようか・・・」。軽い気持でPSAを調べる採血検査を受けた。約1週間後、検査結果が出た。値は5.4(1ミリリットル当たりナノグラム)だった。一般にPSAの値が4を超えると、前立腺がんの可能性が疑われる。すぐにエコー検査を受けたところ、前立腺が肥大し始めていることも分かった。半年に1回のペースで病院で検査を受け、PSAの値をチェックすることになった。「このままさらに、前立腺が大きくなってしまうのだろうか」。荒井さんは一抹の不安を感じた。しかし、前立腺肥大症の人が必ずしもがんになるわけではないという話を聞いたこともあり、それほど深刻には考えなかった。「そのときはまだ、自覚症状も全くありませんでした」。ところが、はじめのうち5~6程度だったPSAの値は、検査を受けるたびに、徐々に高くなっていった。2011年2月に受けた検査でPSAは8.13に上昇した。尿の出も悪いことに悩むようになったのも、ちょうどこの時期からだった。(9月8日 朝日新聞 患者を生きる 前立腺の手術より)
就職・結婚も視野に治療
精巣(睾丸)には、男性ホルモンを分泌する機能と、精子をつくる機能がある。精巣がんにかかる割合は男性10万人あたり1人で、「希少がん」に該当する。主な症状は、片側の精巣が腫れたり、硬さが変化したりする。痛みを感じないことが多く、かなり進行してから気付くケースも少なくない。非常に進行が早く、転移しやすいとされる。発症のピークは、20代後半から30代にかけて。連載で紹介した神奈川県に住む会社員の男性(37)は、働き盛りで、幼い子どもがいる中で治療を受けた。治療は、がんが強く疑われる段階で、腫瘍のある側の精巣を摘出する。取り出した組織を調べてがんかどうかを確定し、転移の有無や転移先の部位によって、その後の治療が選択される。神奈川県立がんセンター泌尿器科の岸田健部長(52)は「若い人に多い精巣がんの治療は、治癒をめざすだけでなく、将来の就職や結婚も視野に入れ、発病前と同じ生活に戻ってもらうことが大切」と指摘する。精巣がんの多くは抗がん剤がよく効き、転移があっても治ることが期待できる。ただ、筑波大病院腎泌尿器科の河合弘二講師(55)は「非常によく効く理由は、まだわかっていない」と話す。解明できれば、ほかのがんにも応用できる可能性があり、精巣がんの研究は世界的にも注目を集めているという。若い患者では、将来子どもを持つことを望んでいる場合が多い。抗がん剤治療を受けると無精子症になる恐れがあるため、希望者には事前に精子を採取し、必要になるときまで凍結保存する。横浜市立大付属市民総合医療センターの湯村寧・生殖医療センター泌尿器科部長(48)は「精子凍結をすることで、若い患者が将来を心配せず、心おきなく治療に専念してもらえる環境を整えることが重要だ」と語る。精子凍結が検討される病気には、精巣がんのほかに、白血病や悪性リンパ腫などがある。国際泌尿器科学会によると、凍結後に融解しや精子は、通常の精子と比べて、運動率が30~60%、受精率は70~75%に低下することが報告されている。(9月5日 朝日新聞 患者を生きる 精巣の摘出 情報編より)
祈る思いで「成績発表」
精巣がんで右側の精巣を摘出した神奈川県の男性(37)は今年2月、県立がんセンターで約1年間続いた抗がん剤治療を終えた。ただ、がんの縮小レベルを示す腫瘍マーカーの値は目標まで下がり切らなかった。さらに続ける選択肢もあったが、副作用で手足のしびれが出て、歩くことが困難になってきたため中止した。脳に転移したがんは、抗がん剤治療の効果で消えていた。両肺に転移していたがんが壊死してしているかどうかが当面の焦点となった。肺のがんが壊死していなければ、抗がん剤治療が再開される。それは、再び入院生活が始まることを意味する。判定には、胸腔鏡を使って肺の組織を取らなければならない。体に負担がかかり何度も繰り返すのは困難なため、血液中の腫瘍マーカーの値は限りなくゼロに近づくことが求められる。男性は退院後も月2回、腫瘍マーカーの検査のために病院に通った。5月中旬の検査で、数値がゼロまで近づいてきた。6月始めに肺の組織を取った。精巣がんは、固形がんの中では治る可能性が高いとされる。それでも検査の結果が出るまで、男性は祈る思いで過ごした。「1年間続いた抗がん剤治療の成績発表のような気持でした」。職場に復帰できるのか。子どもたちとまた楽しく過ごせるのか。この検査の結果にかかっている。ふだんは行かない神社に、何度もお参りに通った。約2週間後、結果が出た。採取した肺のはんは、すべて壊死していた。「本当によかったね」。主治医の岸田健さん(52)から声をかけられ、涙がこみ上げた。男性はいま、勤務先の産業医らと職場復帰に向けた話し合いをしている。早ければ9月中にも短時間勤務で仕事を始め、少しずつ勤務時間を延ばしていく予定だ。ときどき職場に顔を出すと、病気を知らない同僚が、丸刈りに近い男性の髪を見て「どうしたの?」と尋ねてくる。男性は笑って「ちょっと反省してきました」と答えている。がんになって、家族との時間をもっと大切にしようと反省してのことだから。(9月4日 朝日新聞 患者を生きる 精巣の摘出より)
「つらい治療」の告知
精巣がんと診断され、2014年1月に精巣を摘出した神奈川県の男性(37)は手術から2週間後、県立がんセンターに転院することになった。「ここまで進行した状態では、より専門性の高い抗がん剤治療をしなければ命は救えない」。担当医から転院の理由を説明された。「睾丸が腫れた状態で早く病院に行けばよかった」「初めて血痰が出たときに、なぜ医師に診てもらわなかったのか」。男性は受診が遅れてことを後悔し、自身を責めた。血痰は、精巣から転移したがんが肺の組織を攻撃し、出血したのが原因だった。転院先では泌尿器科部長の岸田健さん(62)が主治医になった。「絶対に治すつもりでやりますから、あなたもがんばってください」と語りかけた。男性は「この先生にすべてをかけてみよう」と前向きな気持になれた。精巣がんの治療は、腫瘍のある精巣を摘出し、その後、転移先のがんを腫瘍マーカーの値を見ながら抗がん剤でたたくのが基本だ。男性は、転院した翌日から抗がん剤治療が始まった。岸田さんから「つらい治療になると覚悟してください」と告げられた。精巣がんは抗がん剤治療で8割の患者が治るが、進行が早く副作用も強いため、治療中に亡くなる可能性もあるという。また、摘出手術を受けた病院と同じように、将来的に子どもを希望するのんら精子を凍結保存する方法があることも説明された。2人の子どもがいるので、必要ないという答えは変らなかった。治療は、標準的な抗がん剤tと別の抗がん剤を、それぞれ1クール3週間で計8クール続けた。腫瘍マーカーの値が目標まで下がらず、さらに別の抗がん剤を1クール3週間で4クール続けた。副作用で髪の毛がすべて抜けた。ただ、吐き気はなく、食事は何とか維持できた。そのため、体重はほとんど減らなかった。クールとクールの間には数日から数週間、自宅に帰ることができた。妻(32)の手料理を子どもと一緒に食べ、英気を養った。「入院中いちばんの楽しみだった」。退院できたのは2015年2月。抗がん剤治療を始めてから1年近くたっていた。(9月3日 朝日新聞 患者を生きる 精巣の摘出より)
即日入院、2日後に手術
2014年1月、精巣腫瘍を告げられた神奈川県の男性(37)は、県内の総合病院からすぐに妻(32)の携帯電話に連絡した。「僕はしっかりしているから心配しないで」。診断書を持って勤務先に行き、上司に「がんの疑いが強いと診断されまして、今から入院することになりました」と説明した。上司は「しっかり治してください。仕事のほうは何とかします」と励ましてくれた。病院に戻り、そのまま入院。妻が身の回りの物を届けてくれた。ベッドに横になり、スマートフォンで「精巣がん」について調べた。告知の時はどこか上の空で、医師が言った内容がよく理解できていなかった。国立がん研究センターなどのサイトを見ると、精巣腫瘍になるのは10万人に1人で、9割が悪性と書かれていた。20~30代に発病のピークがあり、発病の原因はわかっていないということだった。精巣腫瘍は非常に進行が早いため、手術は2日後と決まった。腫瘍のある右側の精巣だけを摘出し、異常のない左側は残すことになった。ただ、抗がん剤治療によって無精子症になる可能性があり、これから子どもを希望するのなら、治療前に精子を採取して凍結保存することもできると、医師から言われた。男性は妻と相談し、すでに子どもが2人いることから、精子凍結をする必要はないと答えた。体のどこにも痛みはなかった。食欲もある。体調はふだんと変らないのに、自分は病院のベッドの上にいる。「今朝まで自宅で妻子と過ごしていたのに・・・」。薬剤の点滴が始まり、絶食となった。ベッドの横に掲げられた「禁食中」の札を見ると、いよいよ手術が始まることを思い知らされた。当日、手術は1時間ほどで終了した。手術後の病理検査の結果、摘出した精巣の腫瘍は、がんと確定した。肺への転移だけでなく、腹部のリンパ節、脳への転移も確認された。進行した状態のステージ3Cと診断された。それでも、男性は妻子のために気持を奮い立たせた。「絶対に生きてやる」。(9月2日 朝日新聞 患者を生きる 精巣の摘出より)
腫れ 半年でこぶし大に
神奈川県に住む会社員の男性(37)は2013年12月下旬の深夜、就寝中にのどに異変を感じ、目をさました。洗面所に駆け込み、血痰を吐いた。洗面台に赤い血が広がった。悪い夢を見ているような気分だった。そして、急に息苦しさを覚え、その場にうずくまった。しばらくすると息苦しさが消えたため、そのまま寝てしまった。年が明けた1月上旬、未明に再び血を吐いた。しばらくの間、息を吸うことも吐くこともできず、細いストローを通して呼吸しているようだった。妻(32)も心配し、近所に内科医院が開くのを待って受診した。見せられたX線写真には、両肺に白い影が写っていた。「大きな病院で診てもらったほうがいいでしょう、紹介状を書くので、すぐに行ってください」。医師の顔が引きつっているように見えた。その日のうちに、県内の総合病院を訪ねた。「もしかして、睾丸が腫れていませんか」。診察を受けた呼吸器内科で聞かれた。「実は、腫れています」。右側が、こぶしぐらいの大きさに膨らんでいた。半年ほど前から腫れ始め、少しずつ硬くもなったいた。「こんなに大きくなって邪魔だったでしょう」。医師に聞かれ、男性は「痛みが全然なかったので、そのままにしていました。場所が場所だけに恥ずかしかったんです」と答えた。若くて健康そうな男性の肺に異常が出た場合、精巣腫瘍の肺転移が可能性の一つとして疑われる。泌尿器科で血液検査や超音波検査、CT検査などを受けた後、医師から「精巣に悪性の腫瘍、つまり、がんができている疑いが強いです」と告げられた。妻と2人の子どもたちの将来はどうなってしまうのか。そんな不安が、まず頭をよぎった。続いて、こんな年齢でもがんになるのかと、信じられない気持がわき上がってきた。医師からは、さらにこう説明された。「精巣腫瘍は1日単位で進行することがあるので、できるだけ早く手術をします。今日から入院してもらいます」。(9月1日 朝日新聞 患者を生きる 精巣の摘出より)
まだ少ない機器の導入
腎臓にできるがんの大半は、尿をつくる尿細管にできる腎がん(腎細胞がん)だ。このほか、尿が流れる通路にできる腎盂がんもある。腎がんの患者は男性に多く、50代以降に増える。初期症状はほとんどないことが多いが、血尿などの症状がある人もいる。東京女子医科大泌尿器科の近藤恒徳准教授(49)によると、治療の基本は、手術でがんを取り除くこと。がんの大きさや位置によって、がんがある側の腎臓全体を摘出する「根治的腎摘除術」と、部分的に取り除く「腎部分切除術」とがある。近藤さんは「部分切除のほうが、腎機能が低下するリシクはより低い」と話す。腹腔鏡手術の場合、最近は自由診療で、手術支援ロボット「ダヴィンチ」を使うケースが増えてきているという。連載で紹介した栃木県真岡市の田口成一さん(88)のように心臓や肺などの機能が低下した高齢患者のケースでは、全身麻酔による手術の負担が大きく、経過観察をする例も増えている。田口さんの受けた凍結療法は局所麻酔で行われる。体の外から腫瘍に直径約1.5モリの針を刺し、針の先端を高圧ガスで冷やして凍結させる。凍結と解凍を2度繰り返すとがん細胞は壊れる。2011年に4センチ以下程度の小さい腎がんを対象に保険適用された。日本泌尿器科学界の診療ガイドラインでは、全身麻酔や合併症で手術などの根治的な治療が困難な場合に推奨される、とする。年間50例ほどの治療実績がある国立がん研究センター中央病院の院長でIVR(画像下治療)センター長の荒井保明さん(62)は「治療中の痛みがなく、傷痕も小さい。小さな腎がんの治療法として重要な選択肢だ」と話す。欧米では10年以上前からあり、肝臓や肺などのがんに対しても使われているという。荒井さんは「抗がん剤や放射線が効かなくなった進行がんの患者に対して、腫瘍による痛みを和らげる緩和治療としての可能性もある」と話す。一方、針を刺すことで、出血やしびれが残るリスクがあり、場合によっては治療が難しいケースもある。現状では、治療に使う医療機器を導入している国内の医療機関は約10施設に限られている。(8月29日 朝日新聞 患者を生きる 腎臓の凍結 情報編より)
背中側から針4本
腎がんの「凍結療法」を受けるため、栃木県真岡市の田口成一さん(88)は2014年12月初め、茨城県立中央病院(笠間市)に入院した。治療室の寝台に手術着1枚でうつぶせになった。治療は局所麻酔で行われ、意識ははっきりとしていた。左腰に麻酔の注射を打つ時だけ痛みを感じた。凍結に使う針を刺す治療は、CT画像で患部の状態を確認しながら進められた。腎臓の位置は、息を吸ったり吐いたりするたび上下に動く。そのため、患者が息を止めている数秒の間に針を刺す必要がある。「息を吸って。はい、止めて」。田口さんは主治医の児山健さん(39)の呼びかけ通りに、何度も呼吸を凝り返した。途中で首がしびれて痛くなったが、体を動かさないように言われた。大きさ約3.5センチのがんに対して、背中側から計4本の針を刺した。針を刺すまでの準備と凍結とで合わせて約3時間かかった。治療が終わると、気が抜けたせいか、急に寒気で震えが止まらなくなった。電気毛布で体を温めてもらった。翌朝は通常の病院食を食べ、5日後に退院した。CT検査で、がん細胞が死滅したことが確認できたという。左腰や足の付け根あたりにしびれのような違和感があったが、次第に改善している。数ヶ月に一度、尿や血液の検査、CT検査を受けており、経過は良好だ。現在、がんの凍結療法は小さい腎がんに対してのみ保険適用される。高齢者あったこともあり、最終的に自己負担は数万円で済んだ。「保険が適用されていなかったら、この治療を選べなかったかもしれない」とも感じた。治療後、スポーツや老人会の集まりで再び忙しい日々を送る。同世代の人たちには「腎がんになって、凍結療法を受けました」と折に触れて話している。興味を示す人も多く、「詳しく教えて」と声をかけられることもある。90年近く生きてくれば、いろいろな思いをするが、病気で治療法がないというのは、精神的にかなりきつい経験だった。「この治療法や、信頼できる医師に出会えたことは、ありがたい巡り合わせだった」とかみしめている。(8月28日 朝日新聞 患者を生きる 腎臓の凍結より)
説明聞き即決 前向きに
栃木県真岡市の田口成一さん(88)は2014年10月、手術が難しい高齢者でも受けられる腎がんの「凍結療法」があると聞き、自宅から車で1時間ほどの茨城県立中央病院(笠間市)を受診した。凍結療法を担当するのは放射線診断科医長でIVR(画像下治療)専門医の児山健さん(39)。第一印象は「こんなに若くて大丈夫かな」だった。だが、腎臓の絵を描きながら、熱心に説明する児山さんの話を聞くうちに、頼もしい印象に変った。凍結療法では、専用の医療機器を使う。CT画像で体内のがんの位置を確認しながら、直径約1.5ミリの針を背中側から刺す。針の先端部に高圧のアルゴンガスを流して冷やし、がん細胞をマイナス40~マイナス20度程度に凍らせる。15分間凍らせた後、5分間解凍し、再び15分間凍らせる。二度凍らせることで、がん細胞を壊死させるという。凍結療法は2011年から、4センチ程度以下の小さい腎がんを対象に保険が適用されている。田口さんの左の腎臓のがんは約3.5センチ。児山さんは、「大きさも保険診療の対象になり、がんがある場所も治療しやすい」と説明した。ただ、治療後に血尿などの合併症が起こる可能性もあるという話もした。その日は説明を聞くだけで帰る予定だったが、自分や付き添った家族の質問にも丁寧に答える児山さんの様子に、田口さんは「この先生に治療してもらったら間違いない」と確信した。「元気なうちに早く治療をしてください」。そう希望を伝えた。「こちらの病院で凍結療法を受けた患者の最高齢は?」。田口さんの質問に、児山さんは「82歳です」と答えた。「じゃあ、私が最高齢になりますね」。そんなやりとりができる心の余裕も生まれた。2020年の東京五輪を見たい。リニア新幹線にも乗ってみたい。「手立てがない」と言われて落ち込んでいた気持が、治療の見通しがついたことで、一気に前向きになった。「まだ生きる希望がある」。初めて受ける治療に不安もあったが、「この治療法がだめなら、それが寿命だ」と腹をくくった。(8月27日 朝日新聞 患者を生きる 腎臓の凍結より)
めいが見つけた治療法
栃木県真岡市の田口成一さん(88)は2014年、左腎臓にがんが見つかった。病院から肺機能の低下などを理由に手術できないと言われ、「さじを投げられた」と感じた。だが、近所に住む臨床検査技師のめい(54)は、あきらめきれなかった。めいは2歳の時、父親を心不全で亡くした。田口さんには、いとこたちと一緒にスキーや牧場に連れて行ってもらった。家にもよく泊まりに行った。小学生で盲腸になった時は、田口さんが病院まで駆けつけてくれた。17年前、同い年だった田口さんの次女が、乳がんのため37歳で亡くなった。「医療関係者である自分がもっと力になれたのではないか」と、悔いが残っていた。「もうあんな後悔は味わいたくない。このままおじさんにいなくなられてしまうのは嫌だ」。医師が言うように、体にメスを入れるよりも、このまま様子を見るのも選択肢なのだろう。でも腎がんが転移する場合は、肺が多いという。結果の治療で右肺の機能を失った田口さんの左肺にもし転移したら、かなり苦しい思いをするのではないか。「もし手立てがあるなら、治療を受けて欲しい」。そう思った。めいは毎晩、仕事から帰ると、ネットで治療法を調べた。数日後、「腎がん」「高齢」で検索すると、「凍結療法」という文字がッ目に入った。超低温にした針を使い、CTでがんの位置を確認しながら、がん細胞を凍結させる治療法だという。「体の負担が少ない」と説明されていた。治療施設は全国でも限られるが、田口さんの自宅から比較的近い茨城県立中央病院(笠間市)で治療を行っているらしい。病院のホームページには「高齢で通常の手術が困難な患者」に対しても治療のできる可能性があるとあった。「おじさんにぴったりだ。開腹手術が無理なら、これしかない」。「凍結療法っておうのがあるの。説明を聞きに行かない?」。めいの言葉に、田口さんは「それでがんを殺せるのか」と半信半疑だった。だが、手術を受けられない自分にとっては、「渡りに船」だとも感じた。すぐに診察の予約を入れた。(8月26日 朝日新聞 患者を生きる 腎臓の凍結より)
手術できず「見放された」
栃木県真岡市の田口成一さん(88)は2014年、カレンダーが毎日予定で埋まるほど忙しい日々を過ごしていた。ゲートボールを週に3回。週2回のグラウンドゴルフは競技団体の役員として大会の運営にたずさわった。フランス発祥の球技「ペタンク」の練習も週1回あり、地域の老人会の会長も務めていた。8月、胃腸薬などをもらうため、毎日通う近所のかかりつけ医からこう言われた。「今日は顔色が悪いな。血液検査をしませんか」。検査の結果、輸血が必要なほどの貧血状態だとわかった。後日、妻のとくさん(81)や長女の付き添いで、近くの総合病院を受診した。貧血の原因を調べるため、胃カメラと大腸内視鏡検査、CT検査を受けた。CT検査の結果、思いがけず異変が見つかった。「左の腎臓に3.5センチ大の腫瘍があります」。腫瘍は悪性で、がんだという。「がんなのか。俺も現代病になったのか」。約60年前、肺結核にかかった。治療で肋骨7本を切除し、右肺の機能を失った。入院は1年間に及んだ。「がんの治療といっても、あのときに比べれば、まだましだろう」。そんな思いがよぎった。この総合病院では、「経過観察で、しばらく様子をみる」という。積極的な治療をしたい、と別の総合病院に紹介状を書いてもらった。だが、紹介先の病院の泌尿器科でも、「開腹手術は難しい」と言われた。腎がんの中心的な治療は手術だが、田口さんは高齢で、肺活量も少なく、全身麻酔による手術はリスクが高いという。「手術に踏み切っても、麻酔から目が覚めない恐れがあります」と説明された。「年齢的にがんの進行は遅い。治療をしないでも生活に支障なく、4,5年は過ごせるでしょう。「90歳近くになれば、しょうがないのか」とあきらめる気持もあった。でも、仲間とのスポーツやお酒、旅行も楽しみたい。まだやりたいことが山ほどあった。「治療をしないということは死を待つようなものだ」。病院から見放されたように感じ、落ち込んだ。(8月25日 朝日新聞 患者を生きる 腎臓の凍結より)
特殊な化学療法で温存も
膀胱がんは膀胱内側の表面にある粘膜にでき、その下の筋層、しょう膜と外側に向かって進む。がんが粘膜にとどまっている早期は、尿道から内視鏡を通して削り取る方法で治る。がんが筋層まで進み、転移がなければ、膀胱を取る全摘手術が標準治療だ。だが、全摘しても、再発や転移などで約半数が亡くなるという。大阪医科大の東治人教授(52)は全摘でも再発するのは「転移が見つからなくても実際にはがん細胞が膀胱以外に広がっているから」と説明する。また、連載で紹介した有川勝己さん(41)のようにリンパ節などに転移がある場合は手術せず、放射線療法が原則だ。全摘手術が標準治療になる患者でも、手術できない場合や膀胱の温存を希望した場合には、温存療法が選択肢になる。大阪医科大や筑波大などがそれぞれの特殊な技術で実施している。ただし、がんの状態によって温存療法ができないこともある。通常の化学療法は、抗がん剤の点滴薬を静脈から入れる。抗がん剤は心臓を通って全身の動脈に回るため、膀胱に達するのは全体の一部だ。そこで、東さんらは膀胱のすぐ上流の動脈を風船でふさいで血流を止め、高濃度の抗がん剤を直接流し込む「バルーン塞栓動脈内抗がん剤投与法(BOAI)を開発した。高濃度の抗がん剤が全身に回らないよう透析装置を使って取り除くので、副作用は少ない。膀胱がんは、この方法に都合のいい条件がそろっている。膀胱は動脈の下流にあるので、血液を止めてもほかの臓器に損傷を与えない。膀胱がんは抗がん剤の効果が高く、また膀胱自体が原始的な臓器で激しいダメージを受けても機能は戻る。全摘手術の138人では10年後の生存率が約50%だったのが、BOAIに放射線療法などを組み合わせた温存療法の163人では約80%と高かったという。だが、保険で認められている抗がん剤の使用法は静脈から。適用外のBOAIはこの治療だけで約100万円が自己負担になる。保険適用の申請には治験が必要で、製薬企業に利益がないため、実現は難しいという。(8月22日 朝日新聞 患者を生きる 膀胱取らずに治す 情報編より)
感情抑えて前向きに
2年前、大阪医科大で膀胱がんの温存療法を受けた奈良県の有川勝己さん(41)は最後の治療から約半年後の2013年10月、検査のため入院した。11月、結果を聞くために、病院をたずねた。主治医の東治人教授(52)から「結果は順調」と伝えられた。がんは見つからなかったという。半年後の検査も順調だったが、昨年7月、血尿が出た。膀胱鏡で、膀胱の中を調べて再発が疑われたため、入院。内視鏡で細胞を取って検査した。結果を聞きに行くと、東さんは「がん細胞はなかった。大丈夫」と一言。きつねにつままれたような気分だった。「本当に大丈夫ですか」と聞き返した。「なんで、ウソつかなあかんの」。診断は膀胱炎だった。今年4月、再び血尿が出た。だが、膀胱鏡などの検査結果は異常なし。「放射線治療などで膀胱が硬くなっているから、こういうこともある」と説明された。「自分はこんなにがんばっているのに、どうして」。再発かもしれないと思ったときはショックで、昔のように怒りに包まれそうになった。だが、以前とは違う。感情をコントロールするすべを覚えたからだ。退院後、人が変ったように穏かになった、とよく言われる。妻の由佳理さん(42)も「今まで『ありがとう』なんて言われたことはなかったんですが、よく言われるようになりました」という。イライラして日に3箱も吸っていたたばこは、「膀胱がんになる可能性を高める」と聞いてから、きっぱりとやめた。以前のようにたやすくカっとなって他人を怒鳴ることも影を潜めた。「自分が入院して不在の間も、業績を下げずにがんばってくれた従業員には、感謝の気持しかありません」。前から趣味だった旅行でも変化があった。以前は、行くこと自体が目的で、そのために一生懸命働いているようなところがあった。いまはじっくりと景色を眺め、何かを感じられるようになった。「反省して、前向きになってこれからもこの繰り返しで、病気と付き合っていくと思います」。(8月21日 朝日新聞 患者を生きる 膀胱取らずに治す より)
少年患者に心打たれ内省
3年前、膀胱がんになった奈良県の有川勝己さん(41)は、大阪医科大の東治人教授(52)らの温存療法を受けることに決めた。その前段の化学療法で入院は長期に及んだ。仕事などでの人との接触を断たれ、心がすさんでいた。2013年1月のある日、入院している5,6歳ぐらいの少年患者を見かけた。抗がん剤の副作用からか、髪が抜けた頭にバンダナを巻き、恐竜図鑑を見ながら「これはティラノサウルス」などと熱心に話していた。「自分もまだ若いが、この子の人生はもっと長い。病気のことは理解できているんだろうか」。少年の懸命な姿に心を打たれ、自分を省みる気持が生まれた。上から目線で、他人の意見を聞かず、家族や従業員へのコミュニケーションは恫喝的。かっとなりやすく、すぐに怒鳴り声を出す。そんな自分の性格や生き方が体にも悪い影響を与えていたのではないか。自己啓発の本を読み、治療にも前向きになれた。2012年11月から3カ月に及ぶ通常の化学療法を終えた2013年3月、いよいよ東さんらが取り組んでいる高濃度の抗がん剤を使う温存療法を受けた。膀胱に近い動脈から直接抗がん剤を流し込む。抗がん剤を取り除く透析の時間も含め、約2時間。処置の後も身動きできないのがつらかったほかは、痛みも気分の悪さもなく、あっけなかった。4月に放射線治療を受け、最後となる通常の化学療法も始まった。治療の副作用で、血液の中にある血小板が減り、連休中は化学療法をいったん中止した。4月30日、血小板の輸血を受けた。目の前から人が消え、意識が遠のいた。輸血の副作用で起きる激しいアレルギー症状「アナフィラキシーショック」になったためだ。すぐに治療を受け、かろうじて命は取り留めた。ただ、「人間はこんなに簡単に死ぬのか」と改めて思った。そのころから、詳しい日記をつけ始めた。それまでは「闘病日記なんて悲劇のヒロインみたいなことは絶対したくない」と思っていたが、その日を堺に、「考えていたことや気持を記録に残しておこう」と思い直した。(8月20日 朝日新聞 患者を生きる 膀胱取らずに治す より)
命縮めても全摘しない
3年前の10月、進行した膀胱がんと診断された奈良県の有川勝己さん(41)は翌日、地元の病院に入院した。全摘手術を前提とした化学療法を受けるためだった。「寿命を縮めてでも膀胱を取りたくない」。そう訴える有川さんのため、妻の由佳理さん(42)は「温存療法」に力を入れている大阪医科大の東治人教授(52)を訪ねた。外来で6時間半待っているうちに感情がこみ上げてきた。涙があふれてうまく話せず、付き添いの友人がほとんど事情を説明した。「大丈夫です」と言う東さんが頼もしかった。退院した有川さん自身が12月に大阪医科大を受診した。東さんは「大丈夫、大丈夫。治る、治る」と告げた。その言い方があまりにもあっさりしていたこともあり、治療を託したいと思った。当時は転移がある患者の治療例がまだ少なく、効果は未知数だった。それでも、東さんは「前向きに治療に臨んでもらえるような言葉をかけるようにしています」という。東さんらの温存療法は膀胱の上流にある動脈の血流を止め、通常の数倍になる高濃度な抗がん剤を1時間ほど流し込む。血液が来ない酸欠状態と抗がん剤の両方で、がん細胞を徹底的にたたく。この治療法を受ける前に、通常の化学療法をさらに2回受けることになった。「いつになったら、本来の治療を受けられるんだろう」。入院生活が長くなるにつれ、心がすさんできた。「うるさい、帰れ」「君らは生きる目的があるからいいよな」。病室に見舞いに来た由佳理さんや子どもたちにあたった。がんだと聞かされていない子どもたちはなぜ叱られたのかわからず、戸惑うばかり。由佳理さんは泣きながら、「全摘手術を受けていれば入院は終わっていた。そのほうがよかったかも」と思った。一人になると、有川さんは「言い過ぎた」と後悔した。一方で「そうは言ってもしょせん家族でもこの苦しみはわからないよな」とも思った。東さんのことは信じていたが、果たしてうまくいくかどうかわからない。不安に襲われ、精神的に最悪の状態だった。(8月19日 朝日新聞 患者を生きる 膀胱取らずに治す より)
尿が真っ赤に染まった
2012年の10月、奈良県の有川勝己さん(41)は経営すと設備関係の会社で外のやぶを何とはなしに眺めながら用を足していた。「わーっ。なんや。これー」。下を向くと、尿が真っ赤に染まっていた。すぐに従業員を呼ぶ。「ただごとじゃない。すぐ病院に行ったほうがいい」と言われた。翌日、自宅近くの総合病院を受診した。膀胱鏡とCT、MRIの検査を受けた。痛みも自覚症状もない。有川さんは知らなかったが、突然、血尿が出るのが膀胱がんの特長だ。「仕事先とかいろいろなところに迷惑をかけたくない」。検査結果が出る前から目の前が真っ暗になった。妻の由佳理さん(42)も呼ばれ、膀胱がんと宣告された。それもリンパ節に転移があるステージ4の進行したがん。覚悟はしていたが、衝撃だった。由佳理さんは「まだ30代の夫が、まさかがんになるなんて」と激しく動揺した。転移がないステージ2、3では膀胱を取る全摘手術が標準治療だ。通常は手術をしないステージ4でも、化学療法がよく効く患者の場合は「全摘」を検討する。有川さんには化学療法を試した後に全摘という方針が伝えられた。全摘しても治るかどうかは半々との説明だった。化学療法を受けるため、11月に入院した。病室には由佳理さんのママ友たちが折ってくれた千羽鶴が飾られた。「まだ38なのに膀胱がなくなるのか」。膀胱がなくなると、かわりの袋を付けることになる。「昔ほど不便じゃない」と医師から説明を受けたが抵抗はあった。病室で「パパはどうしたいの?」とたずねる由佳理さんに「膀胱を取りたくない」と訴えた。由佳理さんや親族たちは全摘手術を受けてほしいと思っていた。だが、有川さんの意思は固かった。由佳理さんは元看護師の友人から「そういうときは、セカンドオピニオンを聞くという手段がある」と助言された。由佳理さんが友人とネットなどを調べているうちに大阪医科大の東治人教授(52)らが膀胱の温存手術をしていることを知った。入院中の有川さんに代わり、由佳理さんらが会いにいくことになった。(8月18日 朝日新聞 患者を生きる 膀胱取らずに治す より)
術後の悩み 分かるから
乳がんをテーマにした連載には、体験者から入浴や肌着への悩みが届きました。 ●入浴着を着て温泉入ろう 2014年12月に左乳房を全摘しました。ステージ2でした。術後の経過はよく、今年2月からは筋トレ教室、社交ダンス、ウオーキングを復活。がんになった後は「やりたいことはやれるうちに」という考え方に変わりました。ただ、最後まで復活できなかったのが温泉です。乳がんの手術を受けた女性のための入浴着があることを知り、ネットで購入しました。浴槽につけても衛生的に問題がないとされ、手術痕を隠してくれます。温泉側の態度も少しずつ変ってきているようです。信州の温泉の中には、「入浴着の着用を歓迎します」というポスターを貼っているところもあると聞きます。先日行った雲仙の老舗y旅館では、入浴着について「どうぞ、お気になさらずに」と言ってくれました。乳がん患者が声を上げれば、各地の温泉施設で同じようなポスターが見られる日が来るかもしれません。(長崎県 女性 79歳) ●患者用ブラの会社を起業 2011年3月、両乳房の温存手術を受け、ブラジャー選びに大変困りました。リンパ節転移を調べるため、わきにもメスを入れられたので、その傷痕に下着がこすれて痛いのです。多くの乳がん患者が同じ悩みを感じているはずです。しかし、その点を配慮したブラジャーはなかなかありません。大手メーカーに電話や手紙で問い合わせたり、ネットで調べたお店に尋ねたりしましたが、思い通りの製品に出会えませんでした。医師からはワイヤ付きのブラジャーはだめだと言われましたが、皮膚が落ち着けば大丈夫ですし、若い人ならばおそろいのショーツでおしゃれをしたいと思うでしょう。手術後に手が上がらなければ、手を上げずに下から身につけられる下着があればいいのです。乳がん患者の、乳がん患者による、乳がん患者のためのブラジャーが少なすぎます。今年6月、二十数年勤めた会社をやめ、乳がん患者のためのブラジャーの会社を起業しました。京都府 中村真由美 50代 (8月15日 朝日新聞 患者を生きる 読者編より)
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